【マットグレーのクーペ】アルファ・ロメオ6C-2500 スポーツ トロッシ伯爵の特注 前編
公開 : 2021.06.26 07:05
ストリート・サーキットで強かったトロッシ
流麗なクーペを横から眺めると、トロッシが操縦した戦闘機、マッキC.205 ベルトロのイメージと重なってくる。飛行を終え、アルファ・ロメオの横で彼がパイプに火を付ける姿が浮かんでくる。
第二次大戦が集結すると、トロッシはティーポ158をドライブするため、アルファ・ロメオのチームへ復帰する。アキーレ・ヴァルツィやジュゼッペ・ファリーナ、ジャン・ピエール・ウィミルという腕利きドライバーともに。
1946年の初戦は、スイス・ジュネーブでのグランプリ・デ・ナシオン。トロッシがグレーの6C-2500でスイスへ向かったことは、想像に難くない。
彼はジュゼッペ・ファリーナに次ぐ2位でレースをフィニッシュ。イタリアへの帰路、快適なアルファ・ロメオの車内での話題は、ライバルのタツィオ・ヌヴォラーリによる妨害的な走りが中心だったことだろう。
1947年、トロッシはアルフェッタをドライブし、イタリアン・グランプリとスイス・グランプリを優勝。従来どおり、ストリート・サーキットでの強さを証明した。
その年も、移動手段として乗っていたのは6C-2500。パドック裏のトランスポーターの隣には、専用の駐車スペースが用意されていたはず。
伯爵として、トロッシは貴族的なオーラを放っていた。猛禽類のような鋭い顔立ちに、艷やかな髪。ペルソール・ラッティのサングラスとレインコート、シャツの上にはめたパテック・フィリップのクロノグラフがお決まりのスタイルだった。
スクーデリア・フェラーリでも活躍
腕時計の着け方はパイロット仲間に影響を受けたものだといわれ、レース中でも専用のオーバーオールの上に腕時計を着用。フィアットの元会長、ジャンニ・アニェッリは、トロッシのスタイルを真似たらしい。
エンツォ・フェラーリが後に語っている。「彼は素晴らしいドライバーでしたが、ハングリーさは充分とはいえませんでしたね。ゴムのように感情の柔らかな人物でした」
戦前、トロッシは創成期のスクーデリア・フェラーリのトップとして、アルファ・ロメオ8CモンツァやティーポBなど、イタリア最速のスポーツカーで参戦。しかしエンツォとチームの運営方針が折り合わず、マセラティへ移籍した。
トロッシは1908年生まれで、テキスタイル業と銀行業で成功した裕福な一家に育った。1920年代に英国へ渡り、リーズでテキスタイル技術を学んでいる。
1930年代には、クレモンス社製の4 1/2L直列8気筒エンジンを搭載したデューセンバーグを、エンツォとともに輸入した過去もある。モンツァ・サーキットで速いことは証明されたが、信頼性は低かったようだ。
彼はアウグスト・モナコ博士とともに、スーパーチャージャー付きの2スロトーク星型16気筒エンジンを搭載した、シングルシーターのプロトタイプも開発している。革新的なスペースフレーム・シャシーを備え、249km/hという最高速度を達成した。
ところがレースには出場できなかった。トロッシの妻、コンテッサ・リゼッタは、トロッシの死後にトリノ・ビスカレッティ博物館へプロトタイプを寄贈している。
この続きは後編にて。