【羽ばたけないガルウイング】メルセデス・ベンツSLRマクラーレンとブリストル・ファイター 前編
公開 : 2021.07.03 07:05
ハンドビルドの5.4L V型8気筒で625ps
反面、マクラーレンとメルセデスという2つのブランドが掛け合わされながら、純粋なドライバーへの訴求力とは違うカタチで産み落とされた事実は否定できない。ゴードン・マレーの傑作、マクラーレンF1とは違う。
トランスミッションはAMGが設計を担当したが、耐久性を理由に7速ではなく5速に決められた。そのかわり、コンフォートとスポーツの他に、マニュアル・モードとウェット・モードが付けられた。
当時の流行りの技術といえたロボタイズド・マニュアルではなく、トルクコンバーター式のコンベンショナルなATでもあった。SLRが一般的なATを載せた世界最速のクルマだと、主張することはできたけれど。
見た目を印象づける長いノーズから1mほど後ろに搭載されるエンジンは、ハンドビルドの5.4L V型8気筒。吸気をスーパーチャージャーで圧縮し、インタークラーで冷やすことで、625ps/6500rpmを叶えている。
ユニットの重さは232kgあり、バルブはシリンダー毎に3枚。オーバーヘッドカムだが、シングルだ。スーパーチャージャーは最大2万3000rpmで回転し、13psiのブースト圧で過給される。
SLRのベースとなったのは、1999年に発表されたビジョンSLRコンセプト。当時ダイムラー・ベンツが40%の株を保有していた、マクラーレンとの共同プロジェクトだった。
製造場所は、ドイツ・シュツットガルトではなく、英国ウォーキング。伝説的な地位にまで登り詰めていたF1の約半分という価格もあって、より近づきやすい操縦性の獲得に期待も高かった。
同時期に誕生したブリストル・ファイター
ブラックかシルバーの塗装を選びオーダーすれば、マクラーレンのラボラトリーで1台づつ組み立てられる様子を見学できた。カーボンファイバー製のシートは、体格に合わせて5種類のサイズが用意された。
19インチのアルミホイールは、当時7000ポンドのオプション。SLRのロゴが入ったクロノグラフを、1万5000ポンドで購入することも可能だった。
2009年、最後に登場したスターリング722エディションは、SLRのオーナーに向けて75台が作られた。1955年にメルセデス・ベンツ300SLRをドライブしミッレ・ミリアで勝利した、スターリング・モスとデニス・ジェンキンソンを記念したSLRだ。
目標とした年間生産台数は500台だったが、実際は2007年の275台がピーク。ロードスターの登場で関心を翌動したものの、目標達成には至っていない。
SLRがモデル末期を迎える頃、気まぐれなスーパーカー市場は移り変わっていた。そんなSLRに対し、比較したいと思えるモデルが1台ある。同時期に誕生したブリストル・ファイターだ。
恐らく筆者お気に入りのブランドが、自ら再発明するように発表したモデルだからだろう。2002年から2011年と製造期間は長いものの、作られたのは多く数えて14台。9台以下という説もある。生産台数の面では、SLRの足もとにも及ばない。
しかし、320km/h以上で大人2名を移動させるクルマとして、設計の目的は遠からず。当時のブリストルにとって、ファイターのようなスーパーカーの生産こそ、21世紀を迎えるブランドが進むべき道に思われた。全員が賛同していたとは限らないが。
この続きは中編にて。