【自分たちはエスプレッソ豆だ】クラウス・ブッセ イタリア車デザイナーの仕事 AUTOCARアワード2021
公開 : 2021.06.16 18:05
偶然からメルセデスで学んだブッセ
51歳のブッセは、ドイツのミンデンという地域の出身で、本人によると「クルマの文化に触れる機会が少ない地域」だったという。その代わりに、「Magnum PI」や「The Fall Guy」などのテレビ番組では、フェラーリ308 GTBやGMCトラックなどが活躍していて、クルマに興味を持った。
アートスクールに通っていた彼は、2人の友人とともに、「たまたまプフォルツハイム大学の卒業制作展に行くことになった」。そこでひげを生やした男を見つけ、講師に違いないと判断した彼はポートフォリオを見せてもらえないかと頼んだ。すると偶然にも、そのひげを生やしたスーツ姿の人物は、メルセデス・ベンツのデザイン・インターンシップ・プログラムの責任者だったのだ。
「ポートフォリオを見せても意味がない」と言われたにもかかわらず、ブッセたちはメルセデスに招かれ、インターンシップ・プログラムについて話を聞き、検討を重ねた結果、参加することになったのだ。
3人はブラウンシュヴァイク大学に進学したが、1年後、ブッセはこのコースに物足りなさを感じ、代わりに英国のコベントリー大学の工業デザインコースに参加した。そこでは「本当に楽しい時間を過ごした」という。その後、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートの自動車デザイン・プログラムに入学した。
1995年、ブッセはメルセデス・ベンツに入社し、マイケル・マウアー、スティーブ・マティン、ステファン・シーラフ、ピーター・ファイファー、ムラット・ギュナクといった著名人から学んだ。
「デザインだけでなく、マネジメントやリーダーシップについても多くのことを学びました。とても参考になりました」
メルセデスでの10年間はブッセの「形成期」であったが、「1つのデザイン」を自分のものだと主張することはできないという。「常にチームワークであり、チームのために戦っていた」と彼は言う。
チームを率いる責任感
特に重要な出来事は、2001年に発売されたR230メルセデスSLの原寸大のインテリア案をブッセが作成したときだ。
「わたしは予算を管理しながら、すべての作業を行いました。その作業には、トリノのStola社に委託した実物大モデルの製作の監督も含まれていました」
「初めてStola社に足を踏み入れた時のことを覚えています。工房のドアを開けると、そこにはわたしのSLのインテリアの実物大モデルがありました。5、6人の人がわたしを見て『よし、どうすればいいか教えてくれ』と言ってきました。その時になってようやく、期待と責任があることに気づいたのです。それにしても、信じられないような瞬間でした」
結局、ブッセのインテリア案は採用されなかったが、その後、次のSLでインテリアデザイン・マネージャーとして働くことになった。しかし、その計画は中止となり、夢の実現が危ぶまれたブッセは、ダイムラー・クライスラー社の米国事業所への異動を希望した。
そこで彼が何をしたかは後述するが、メルセデスのSLに携わる仕事とは明らかに違っていた。しかし、それは貴重な変化であり、最終的にブッセはトリノに赴き、5つの歴史的なイタリアン・ブランドの世界に浸ることになる。
ステランティス社との合併により、彼が「殿堂」と呼ぶデザイナーたちが集結したこともあり、ブッセはこれらのブランドに対して「非常に楽観的」であるという。しかし彼は、自分がチームの一員として働いていることを改めて強調する。
「彼らはわたしを良く見せてくれます。インスピレーションを与えてくれますし、大変な仕事もしてくれます。そして、FCA時代よりも多くの製品がショールームに並ぶことを期待したいと思っています」