【英国にアルピナを広めた男】フランク・シトナーに聞く アルピナB3 ツーリング AUTOCARアワード2021 後編

公開 : 2021.06.18 16:25  更新 : 2021.06.18 22:04

AUTOCARの詳細テストで、満点を獲得したアルピナB3ツーリング。それを記念し、BMWをベースに作られるアルピナを英国へ広めた人物へ話を聞きました。

AUTOCARで絶賛されてきたアルピナ

text:Richard Lane(リチャード・レーン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
AUTOCARでは、2020年末に最新のアルピナB3ツーリングへ試乗している。賛美する内容だったが、フランク・シトナーも読んでくれたらしい。ただしアルピナがAUTOCARで絶賛されたのは、前回が初めてではない。

シトナーは学校を卒業すると、広告の仕事へ関わった。その経緯もあり、B9がどんなクルマなのか詳しく理解していたという。「BMWの広告代理店の協力を受け、当時のわれわれでは不可能な規模の広告展開を仕掛けることができました」

アルピナB3 ツーリング(英国仕様)
アルピナB3 ツーリング(英国仕様)

1980年代のロンドンでは最もエネルギッシュな代理店、WCRSとの仕事を指している。財務責任者が、プライベートジェットを飛ばすような企業だ。M635 CSiなど、英国では有名なBMWのキャッチコピーを数多く生み出している。

「エグゼクティブ・ジェット、エグゼクティブ・スポーツカー」というキャッチコピーで、アルピナの広告がAUTOCARにも載った。今聞くと新鮮味のないものだが、その頃はとてもパンチ力のあるメッセージだった。

「本当に素晴らしいものを、ライバルのいない市場へ売り込むことは、そうではないものを売るよりはるかに簡単です。広告で目にするアルピナの主張は、すべて真実だと思いますよ」。現在も毎日のようにアルピナをドライブするシトナーが話す。

ちなみに彼が乗っているのは、F30型のD3ビターボ・オールラッド。アルピナ・ブルーに塗られているが、ストライプは入っていないという。

現在でも生産台数は1800台程度

1980年代後半になり、アルピナは自動車メーカーとして型式認証を英国でも受け、完成車の輸入が可能となった。ブランドの展開を祝い、彼はワインのボトルを抜いたことだろう。ちなみにワインの貿易も、アルピナの収益の15%を占めている。

1989年11月9日、アルピナを創業したボーフェンジーペンと話しながらミュンヘン空港へ向かう途中、カーラジオからベルリンの壁が崩壊したというニュースが聞こえてきた。「当時の東ドイツは貧しく、統合後の経済的な余裕を心配する人がほとんどでした」

アルピナB3 ツーリング(英国仕様)
アルピナB3 ツーリング(英国仕様)

「しかしボーフェンジーペンは、メリットについてすぐ考えを広げました。彼はネガティブにこだわることはありませんでした。常にポジティブな側面を発見するんです」。シトナーが振り返る。

アルピナを築き上げた彼は、必要ならドイツの政治を熱く語り、先を見通す力があったらしい。1999年、アルピナはディーゼルエンジンを搭載するようになる。専門知識を利用し、見事に仕上げてみせた。

目的への適合性にも結び付いている。「ボーフェンジーペンの関心は、高性能というだけに留まりません。ライバルよりさらに320km遠くへ走れるかどうかも、意識していました」

これまで数十年に渡り、当初はブルカルト・ボーフェンジーペンが、近年は息子のアンドレアスが率い、アルピナは成長を続けている。しかし、威厳ある地位を一般化するほどの規模までには広げていない。

1980年代、アルピナが販売していたクルマは、英国で組まれていたぶんも含めて年間で600台程度。2021年でも、約1800台に留まっている。

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