【3.5L V8を積んだビュレット】トライアンフTR8 ブランドの最終章へ再試乗 前編

公開 : 2021.07.10 07:05

1台へ絞られた次期スポーツモデル

傘下に入った10ものブランドは、合理化が進められた。1974年、MGミジェットの1275cc Aシリーズ・エンジンは、スピットファイア1500用のユニットに置換が決まる。MGファンとしては屈辱的な決定だったといえる。

しばらくすると、両ブランドのフラッグシップモデルは耐用年数の終わりを迎える。独自の次期スポーツカーのアイデアを温めても、不思議ではなかった。

トライアンフTR8(1978〜1981年/欧州仕様)
トライアンフTR8(1978〜1981年/欧州仕様)

MGはハイドロラスティック ・サスペンションと呼ばれる油圧サスを備えた、ミドシップのADO21を計画。一方のトライアンフは、従来的なフロントエンジ・リアドライブを採用した、通称ビュレットの設計を進めた。

同一傘下にあって、選ばれる道は1つ。オースチン・スプライトや、MGミジェットとMGB、トライアンフ・スピットファイアなどの後継モデルは、TRシリーズやGT6などと一緒に、すべてトライアンフの次期モデルへ統合された。

ビュレットの開発の中で、メカニズムはスムーズに設計がまとまった。活発ながら重さのかさむ直列6気筒エンジンも試されたが、最終的に選ばれたのは、トライアンフ・ドロマイト用の4気筒。スウェーデンのサーブが開発したユニットだった。

初期のビュレットには4速MTが組まれたが、TR7として量産が本格化すると5速MTへスイッチ。ローバーの3.5L V8ユニットもスポーティな仕様、後のTR8として採用が決まっており、ハイパワーにも対応できる耐久性を備えたトランスミッションだった。

イメージを裏切るモダンなデザイン

燃料インジェクションのエンジンに独立懸架式のサスペンションが与えられ、少々複雑な構成になっていたTRシリーズ。TR7では、シンプルさも意識された。

そこで技術者のスペン・キングがリア側に選んだのが、セミトレーリングアーム付きのリジットアクスル。コスト面でも有利で、アメリカ人受けも良い。

一方のスタイリングは少々難産だった。正面衝突と側面衝突の安全性だけでなく、燃料タンクの保護や横転時の安全性に対する北米の規制は厳しく、ボディの設計は簡単ではなかった。

視覚的な足を引っ張ったのが、5マイルバンパーと呼ばれた大きなバンパー。トライアンフに限らず、欧州車のスタイリングをことごとく崩した、不可避の要素だった。

デザインを担当したのは、ハリス・マン。いわゆるスポーツカー的なくさび形、ウェッジシェイプのフォルムは、イタリアのカロッツェリアが生み出すコンセプトカーに影響を受けたものだといえる。

しかし彼が探求したデザインの美しさは、量産までの過程で失われた様子。関わる技術者や口を出す財務担当者が増えるほど、クルマのスタイリングは当初の良さが薄まりがちだ。

トライアンフに、コンセプトカーのベルトーネ・カラボを彷彿とさせるビジュアル・インパクトを与えようとしたのだろう。ブランドのイメージを裏切るような、モダンなデザインをTR7に落とし込もとうと思案したことは否定できない。

結果としてMGBやTR6は、TR7とともに生産が続けられた。

この続きは後編にて。

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