【迷える名車】日産スカイラインの人気おちた背景 勝利の方程式捨てたV35の功罪

公開 : 2021.07.03 05:45  更新 : 2021.10.11 10:54

V35の反論 その後セダン不遇の時代へ

しかし、V35スカイライン側の弁明もある。

そもそも、V35スカイラインは、スカイラインではない別のモデルとして開発されており、土壇場にスカイラインになったという経緯があったのだ。

日産スカイライン(現行型)
日産スカイライン(現行型)    日産

しかも、クルマが悪かったわけではない。

なぜなら、V35スカイラインは、アメリカの地でインフィニティG35との名前でヒットモデルとなっている。

しかし、日本は違った。

あまりに過去のスカイラインの人気が高すぎたのだろう。また、景気も悪い。

人気を集めるのは、新型フィットやキューブのような小型車、もしくはエスティマステップワゴンのようなミニバンだ。価格の高い新顔の上級セダンが売れるような時代ではない。

2010年代にもなると、セダンはさらに売れなくなる。セダン不遇の時代だ。

なんとトヨタクラウンさえ、年間販売ランキング(一般社団法人日本自動車販売協会連合会調べ『乗用車ブランド通称名順位』)で10位以下が通常というほどセダンの人気が低迷する。

2020年の年間販売ランキングのベスト10に入ることのできたセダンは、カローラ、ただ1モデルのみ。

スカイラインは、当然のように50位以下のランキング圏外となっている。

昭和に絶大なる人気を誇ったスカイラインだが、平成の失われた20年の間に、過去の「サーキットでも活躍できる」、「身近な存在」という勝利の方程式を手放し、新たな路線を歩むことになる。

その後、セダン不遇の時代の到来という不運に見舞われてしまうのだ。

しかし、日産がスカイラインの開発をやめないというのは、当然のことだろう。

なぜなら、日本ではダメでも、世界市場で同モデルの評価は高く、ちゃんと売れているのだ。ビジネスを考えれば、やめるはずがないのだ。

とはいえ、日本におけるスカイラインの人気復活は、現状を考えると非常にハードな課題だ。日産の奮起に期待したい。

記事に関わった人々

  • 上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。
  • 鈴木ケンイチ

    Kenichi Suzuki

    1966年生まれ。中学時代は自転車、学生時代はオートバイにのめり込み、アルバイトはバイク便。一般誌/音楽誌でライターになった後も、やはり乗り物好きの本性は変わらず、気づけば自動車関連の仕事が中心に。30代はサーキット走行にのめり込み、ワンメイクレースにも参戦。愛車はマツダ・ロードスター。今の趣味はロードバイクと楽器演奏(ベース)。

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