【蓼食う虫も好き好き】フィアット・ムルティプラ 美しくも醜い「魅力」に迫る
公開 : 2021.07.03 06:05 更新 : 2021.07.27 14:44
1996年パリモーターショー
神経質な読者は目を瞑った方がいい。フィアット・ムルティプラのコンセプトモデルだ。市販モデルと非常によく似ていたが、それはフィアットが市場とディーラーに、この珍しい外観を受け入れる準備をさせたかったからである。
フィアットのプラットフォーム開発責任者であるジュゼッペ・スカリオーラは、次のように述べている。
「これは、計算されたリスクです。革新的な機能を搭載しているため、ディーラーには事前にフィアットが何をしているのかを知ってもらう必要があると考え、早い段階でお知らせしました」
興味深いのは、フィアットが右ハンドル仕様を計画していなかったことである。1996年のパリモーターショーでの発表は、ルノー・セニックを追いかけるためのタイミングだったのだろうか?おそらくそうだろう。
ニューヨーク近代美術館
ニューヨーク近代美術館で開催された「Different Roads: 次の世紀の自動車」と題された展覧会では、展示された9台のうちの1台がフィアット・ムルティプだった。マンハッタンではさぞかし目立ったことだろう。
ニューヨーク・タイムズ紙の取材に応じた見物人は、「あれは醜いクルマだ」と言った。それは、彼がムルティプラの車内に入り、気の利いた機能や広いキャビンをチェックする前のことだった。「醜いね」と彼は断言する。「しかし、わたしはスタイルにこだわらない。わたしを見てくれ、蝶ネクタイをしているだろ」
欧州での発売
フィアット・ムルティプラは、ニューヨーカーにイタリアン・エレガンスと洗練されたデザインを披露する頃には、すでに欧州で販売されていた。1998年11月にイタリア、オランダ、ベルギーで販売を開始し、1999年にはドイツ、フランス、その他の欧州諸国でも発売された。
ジュゼッペ・スカリオーラはオートモーティブ・・ニュース・ヨーロッパの取材に対し、「年間10万台の販売は多すぎるので、4万台程度で収支が合うように計算した」と語った。「しかし、個人的には年間7万5千台売れても不思議ではない」
ムルティプラは、1999年に3万9189台を販売し、2001年には4万9841台のピークを迎えた。
2000年の英国発売
英国は、ムルティプラを迎える心の準備に時間がかかった。2000年に英国で発売された頃の「Makes sense on the inside」という宣伝文句は、ムルティプラが反感を買うことを想定してのものだった。リアウィンドウのステッカーには、「フロントを見てから」と自虐的な文句が書かれていた。
ジェレミー・クラークソンは、「論理的に考えられたストレートな作品として、これは傑作だ」と評した。ムルティプラは、ベースとなったフィアット・ブラーバのハッチバックよりもわずかに背が低いものの、1871mmというフォード・スコーピオと同等の幅(そしてそれに劣らない個性)を持っていた。つまり、2列3人乗りのスペースと430Lのトランクを確保したのである。