【アフリカの大地に勝てるか】WRCサファリ・ラリー 復活を歓迎する理由 豊かな歴史とケニアの自然
公開 : 2021.07.04 20:25 更新 : 2022.11.01 08:57
5つの忘れられない瞬間
●1963年「アンシンカブル・セブン」
1963年に開催されたラリーは、サファリの基準から見ても非常に過酷なもので、84台のマシンが3100マイル(約4990km)のルートに挑んだものの、完走したのは7台だけだった。1968年も完走車は7台で、ドライバーとコ・ドライバーは「アンシンカブル・セブン(沈まぬ7台)」の一員として知られるようになった。
1968年に完走したドライバーのうち2人(ニック・ノヴィッキとジョギンダ・シン)は、1963年でも完走している。
●1972年「ザサダの911」
ケニア人は、自国のイベントでは常に優位に立っていた。しかし、欧州勢もこの特殊な地形での速さを徐々に身に着け、1972年、フォード・エスコートを駆るハンヌ・ミッコラがついにこの状況を打破した。
準優勝したのはポルシェ911を駆るソビエスワフ・ザサダだった。彼のマシンは、前年にポルシェのファクトリーチームから借りたままケニアに残っていたもので、メカニック1人と、休暇でたまたま現地に来ていたポーランド人の2人のボランティアだけで整備していた。
●1990年「最年長記録」
1990年のサファリ・ラリーで、ビヨン・ワルデガルドは46歳と155日で16回目となる最後の優勝を果たし、最年長記録を樹立した。
トヨタ・セリカのウォーターポンプの消耗が激しく、ケルンのファクトリースタッフが金曜日の夜、スーツケースいっぱいのスペアを持ってナイロビ行きの飛行機に乗り込んだほど過酷なレースだったが、ワルデガルドは38分もの大差をつけて勝利した。
●1999年「フォーカスに焦点を合わせる」
革命的な新型フォード・フォーカスWRCのデビューは決して容易なものではなかった。モンテカルロ・ラリーでウォーターポンプに問題があり失格となったのだ(ワルデガルドも同情しただろう)。第3戦のサファリは最も過酷な試練となるため、期待値は決して高くなかった。
コリン・マクレーが15分差で優勝するとは誰も想像しなかった。Mスポーツを率いるマルコム・ウィルソンは、この勝利を自分のキャリアの中で最も誇りに思える瞬間の1つだと今でも語っている。
●2002年「砂中のバーンズ」
このラリーで2度の優勝経験を持つリチャード・バーンズは、サファリに親しみを持っていた。彼の流れるようなドライビングスタイルは、クルマを壊すようなルートに完璧にマッチしていた。
2002年の第2戦では5位を走っていたが、サスペンションが壊れてしまった。彼のプジョーは問題なく走り続けた。しかし、55kmほど走らせところで、サービスパークを目前にして柔らかい砂に埋もれてしまったのだ。必死になって砂を掘っている彼を見ていても、ルール上、誰も助けることはできない。英AUTOCAR編集部の記者は、長年ラリーを取材してきた中で最も歯がゆい思いをしたことの1つだ、と語っている。