【英国市場に挑戦したアメ車たち】バイパーGTS ギャラクシー500 前編
公開 : 2021.08.07 07:05
第二次大戦後、北米への輸出で命をつないだ英国車。一方で英国市場へ果敢に挑戦し、破れていったアメ車も少なくありません。英国編集部が一部をご紹介します。
英国へ上陸した北米産の大きなクルマ
英国人が抱くアメリカ車への憧れは、論理的に説明できるものではない。派手で大きなボディに大排気量エンジンを載せ、西部開拓を目指して駆けた馬車以上にワイドなトレッドへ惹かれるのかもしれない。
広大な大地に整備された住宅地間の距離は遠く、敷かれた道も広大。自ずとクルマも大きくなった。大陸に合わせて作られたアメリカ車だが、当初から島国の英国市場もターゲットになっていた。
キャデラックとオールズモビルズは、20世紀初頭から英国へ輸入されていた。しかも、しっかり右ハンドルで作られていた。1910年以降、アメリカでは左ハンドルが標準となるにも関わらず。
フォードとGMが、北米以外の工場を初めて建設したのも英国。33.5%という高額な輸入関税を避けつつ、収益性の高い市場で商売を繰り広げようとした。
フォード・モデルAやモデルTは、1911年から英国マンチェスターの工場で組み立てられていたし、GMは英国のヴォグゾールを買収。1925年からルートンの工場で生産を始めている。
それでも、ビッグ3と呼ばれる自動車メーカーは、北米産の大きなアメリカ車を英国で売ろうと何度も挑戦してきた事実は興味深い。英国のA66号線より、ルート66の方が似合うようなクルマを。
今回は、アメリカの自動車メーカーが英国へ売り込んできた過去を、7台のクルマで振り返ってみよう。
ダッジ(クライスラー)・バイパーGTS
GMは、英国市場にコルベットを古くから輸入してきた。ロータスが息を吹き込んだ、特別なZR-1は輸入されることがなかったけれど。そこへ割り込みを仕掛けたのが、獰猛な8.0L V10エンジンを搭載した、ダッジ・バイパーだ。
ピックアップ・トラックから流用したエンジンだと、しばしば皮肉交じりで取り上げられたバイパーだが、実際はただ載せ替えただけではない。当時姉妹関係にあったランボルギーニが、手を加えていた。
鋳鉄ブロックをアルミニウム製に置き換えるなど、V10エンジンは改良されていた。それでも、AUTOCARの編集部は批判的に試乗の印象をまとめている。
「操縦系が非常に重く、クルマは扱いにくい。見た目は並外れたインパクトがあるものの、もう少し開発時間が必要だったことは明らかでしょう」
1995年、ダッジはバイパーを改良。英国仕様の最高出力は456psへ引き上げられ、主要な部品の90%は変更されるか改良を受けた。そして1999年、コンセプトを突き詰めたバイパー、GTSが誕生する。
しかし、ブレーキは欧州車基準では充分とはいえず、ステアリングのレシオはスロー過ぎた。イタリア製のスーパーカーへ立ち向かえるほどの刺激は、得られていなかった。
とはいえ、0-97km/h加速を4.0秒でこなし、最高速度は284km/hに到達。強烈なサウンドをぶちまける毒蛇のバイパーは、アメリカン・ヒーローと呼ぶに相応しいモデルだ。
マニアな小ネタ:バイパーのV10エンジンのもととなったユニットは、クライスラー製のLA 360と呼ばれるV8ユニット。そこへ2気筒が追加されたものだった。