【始まりのキットカー】1959年式ジネッタG2 現存は6台以下 部品の山から再生 後編
公開 : 2021.08.08 17:45 更新 : 2022.08.08 07:27
2人で当時の姿のままに再生を目指した
スペースフレームの復活は、デイビスに託された。彼は1976年のコンセプトカー、ウィリアム・タウンズがデザインしたマイクロ・ドットや、スポーツレーサーまで多様な製作経験を持ち、チューブラーフレームの復活は難しい作業ではなかった。
しかし、本来の状態を確認できるクルマがなかったことが課題だった。参考になる図面も手元にはなかった。
デイビスが苦労して仕上げたシャシーは、1959年当時の姿を取り戻すべく、新車時のようにテカロイド社製の特注塗料でコーティング。古いフォードE93Aを入手し、ランニングギアを流用した。
オリジナルと同じ1172ccエンジンが抜き出され、ツインSUキャブレターと4分岐のエグゾースト・マニフォールドが組まれた。シリンダーヘッドとウォーターポンプ、エンジンマウントにバルブカバーなど、当時物の社外部品も準備された。
ボディを仕立てたのは、コリンズとデイビスの2人。しかしオリジナルのボディは基本的にそのままで、手を加える必要はあまりなかったという。初代オーナーのジェフリーズを訪ねると、1950年代末に撮影された写真が数枚発掘され、参考にしている。
1980年代が終わる頃、ジネッタG2はほぼ完成状態に至る。エナメル仕上げのフォード・ポピュラー用17インチホイールを履き、路上に出られる状態にあった。ところが、ボディカバーが掛けられてしまう。
型破りな存在とはいえなかった
G2はしばらくそのままだったが、ジネッタのオーナーズクラブに後押しされ、1996年のキットカー・ショーでの展示が決定。コリンズとデイビスは、補機類や配線の仕上げを目指した。
ジネッタを創業したアイバーとトラバース・ウォークレットの2人へ披露すると、復活したG2に感銘を受けていたという。その時、フロントノーズのエンブレムの色が違うという指摘をもらう。
そんな経歴を経て、ジネッタは再びガレージへ戻された。時々外にも出されたが、走ったのは数名の仲間との短い旅行のみ。途中、慢性的なオーバーヒートを改善するべく、少し手が加えられてはいたが。
時が経ち2020年。デイビスがフランスで過ごしている間、コリンズはジネッタG2の復活を目指すことにした。行った作業の1つは、フロントサスペンションの変更だ。
2人が購入した時、G2に組まれていたのはスタンレー・ビアデル&Co社製のスプリットビーム。キャスター角が変化し、操縦特性が変化する癖があった。限界領域で危険だと判断し、ポピュラー用のビームアクスルに交換してある。
魅力を知る人の少ない、ジネッタG2。英国の小さな自動車メーカーが誕生するきっかけとなった、当時の記憶を今に残している。資金が充分でなくても、成功できた時代の好例だ。むしろ、創造性を伸ばすことができたのだろう。
最初期のジネッタは、型破りな存在とはいえなかった。実際に組み上げて楽しめた人も、ごく少数。それでも、スポーツカーとして影響を与えた存在であることに間違いはない。