【残念?当然?】開発が中止されたクルマ 53選 前編 愛されなかった乗り物たち
公開 : 2021.07.22 10:05
ローバーP8(1971年)
1963年に発売されたローバーP6は、技術的な成功を収めたものの、最終的には1976年にSD1に置き換えられた。しかし、ローバーは6台のP8プロトタイプを製作しており、本来であればP8がP6のバトンを引き継ぐはずだった(あるいは引き継ぐべきだった)。そうなっていれば、状況は大きく変わっていたかもしれない。
このプロジェクトがなぜ土壇場で中止されたのか、理由は定かではない。一説には、ウィリアム・ライオンズ卿が「ジャガーXJ6のシェアを奪うことになる」と反対したためと言われている。もう1つの理由は、衝突安全テストでの惨憺たる結果である。
シトロエン2CVシュペール(1974年)
1974年、2CVは26歳の誕生日を迎えた。シトロエンは当然のことながら、2CVがあと何回誕生日を祝えるのかを考えた。その流れで、トラクション・アヴァンのスタイリングを参考に、レトロな雰囲気を醸し出すことで2CVの若返りを図るという、いささか不可解な試みに出た。
2CVシュペールと名付けられたこのモデルは、固定式メタルルーフを採用し、GS譲りのフラット4エンジンを搭載するためにフロントエンドを延長した。結果的にプロジェクトは中止されたが、賢明な判断だったかもしれない。
フォルクスワーゲン・パサートGTI(1977年)
1977年、フォルクスワーゲンはパサートのエンジンルームに、アウディ80GTEの11psの1.6L 4気筒エンジンを詰め込んだ。さらに、前後に大型のブレーキを装着し、タイヤを太くして、ゴルフGTIを意識したスポーティなボディキットを装着した。
パサートGTIと名付けられたこの2ドアのプロトタイプは、ドイツのウォルフスブルク周辺の一般道でもテストされ、満足のいく結果を収めた。
しかし、当時のトニー・シュマッカー(1921~1996)CEOは、パサートがパフォーマンスカーに姿を変えるべきではないと考え、このプロジェクトを中止した。
日産ミッド4(1985年)
1985年のフランクフルト・モーターショーで初公開されたミッド4(MID4)は、ポルシェやロータスに対抗する日産の試みだった。
ミドマウントされた3.0L V6、4輪駆動、4輪操舵を備えたミッド4は、250km/hという最高速度を誇る。リアから見るとかなり個性的で好き嫌いの分かれそうなデザインだが、フロントから見ると非常に魅力的なクルマだった。