【始まりのミドシップ】フェラーリ365 GT4 BBとマセラティ・ボーラ ミウラへ対抗 前編
公開 : 2021.08.14 07:05 更新 : 2022.08.08 07:27
正確には180度のV型12気筒
フェラーリは、365 GT4 BBの最高出力は385ps、最高速度は302km/hだと主張したが、かなり甘い数字だったようだ。特に最高速度は、エンジンの回転数とギア比から算出した数字だろう。
4.4Lの水平対向12エンジンは、フェラーリのF1用1.5Lと、3.0Lユニットの開発で得た知見が活かされている。4本のカムシャフトのベルト駆動構造は、フィアットの影響を残すもの。交換にはエンジンを下ろす必要があり、費用が高く付くのが難点だった。
乗員の空間と荷室が確保され、5速トランスアクスルが下方に組み合わさり、大きなフラット12エンジンは搭載位置がやや高くなった。操縦性の面では理想的な位置ではなかったが、テスタロッサまで継続採用されている。
アルミ合金で鋳造されたブロックに、ウェットライニングと1気筒あたり2バルブが与えられた傑作ユニットは、構造として正式にはボクサーとは呼べない。対向する位置のピストンがクランクピンを共有し、180度のV型12気筒と呼んだ方が正しいだろう。
そのレイアウトのお陰でエンジン高は低く、車重1500kgの2シーターの重心位置も低く仕上がってはいた。前後重量配分も、44:56と悪くない。
ボディシェルには、アルミニウム製のドアとリアデッキに、グラスファイバー製のロワー・パネルが組み合わされている。樹脂製のバンパーは、ディーノと並行して成形されたという。
シトロエン傘下にあったマセラティ
365 GT4 BBの登場は不可避だったといえるが、ミドシップのマセラティは、予測不能な要因が絡んでいた。ボーラの原型となるコンセプトカー、ティーポAM117が姿を見せたのは1971年のジュネーブ・モーターショーだ。
1960年代まで、フロントエンジン・リアドライブのグランドツアラーを連綿と生産してきたブランドだっただけに、発表は衝撃的だった。歓迎すべき出発点だったとはいえる。
そもそもマセラティは、ブランド間での性能競争には距離を置いていた。ミドシップを選ぶ必要性も、大きくはなかった。1967年にシトロエンが経営権を握るまで、開発するための資金も手元にはなかった。
しかし新しいフランスの上層部から刺激を受けた主任エンジニアのジュリオ・アルフィエーリは、乗りやすいミドシップを考案する。静かで乗降性に優れ、運転席からの視界も良好な2ドアクーペだ。
さらにアルフィエーリは、親会社が得意とする高圧のハイドロ技術も採用した。ブレーキやリトラクタブル・ヘッドライトの動作、ペダルの位置調整をハイドロでまかなった。ボーラというモデル名は、アドリア海に吹く風の呼び名が由来となっている。
エンジンは、クワッドカムの4.7L V型8気筒。最高出力314psの、最新仕様が搭載された。不運なスポーツレーサー、マセラティ450Sとの結びつきが濃いユニットだった。
この続きは中編にて。