【50年後でも仰天】ランボルギーニ・カウンタック LP400から25thアニバーサリーまで 後編

公開 : 2021.08.15 19:25

長寿命を生き抜いたカウンタック

25thアニバーサリーの走りは、お祭り騒ぎ。48バルブ・エンジンのサウンドはスムーズさを増しているが、静かになったわけではない。記念日を祝うように、ギアからは高音の響きが、エンジンからは吸気と排気の唸りが、ファンファーレのように轟く。

乗り心地は決して良くない。タイヤのゴムも、充分には衝撃を吸収してくれない。25thアニバーサリーは、ほかの3台のカウンタックより老朽したアスファルトの影響を受けやすいようだ。

ランボルギーニ・カウンタック 25thアニバーサリー(1988年/欧州仕様)
ランボルギーニ・カウンタック 25thアニバーサリー(1988年/欧州仕様)

サスペンションは改良を受けているが、内容は限定的。モダンなピレリPゼロ・タイヤに合わせた変更がメインで、ワンダリングしやすい。

低速コーナーでは、確実にアンダーステアが顔を出す。だが初期のカウンタックと同様に、操舵感は良い。ブレーキは不安を感じさせないほど力強だ。

ランボルギーニはカウンタックで、壊れやすくない限りは改善しない、というスタイルを取っていた。会社を取り巻く状況がそれを強いた側面もある。正しいスタイルだったともいえる。

少なくとも、ランボルギーニ・カウンタックは長いモデルライフを生き抜いた。能力に長けたイタリアン・スーパーカーだった。

最も偉大なスーパーカーの1台

カウンタックが発案されたのは、フェルッチオ・ランボルギーニが積極的にスーパーカーへ取り組んでいた1969年。倒産を乗り越え経営者が変わり、フランス人のパトリック・ミムランからクライスラーへ社が売られるなかで、晩年を謳歌した。

1970年代から1980年代にかけて、子どもたちはカウンタックの正しい発音方法に悩んだ。友人との距離を縮めてくれたことに、筆者は感謝している。1980年代に入っても若者文化へ上手に馴染み、ランボルギーニを唯一無二のブランドにのしあげた。

ブラウンのランボルギーニ・カウンタックLP400と、レッドのカウンタックLP400S
ブラウンのランボルギーニ・カウンタックLP400と、レッドのカウンタックLP400S

カウンタックは、運転するのに最適なスーパーカーではない。発表から50年が経過した今、改めて実感することができた。だとしても、最も偉大なスーパーカーの1台だったといえる。

長いモデルライフを通じた進化は、微妙だったかもしれない。しかし、突き抜けた16年だったことは間違いないだろう。  

番外編:マルチェロ・ガンディーニに聞く

カーデザイナーの巨匠、マルチェロ・ガンディーニ。彼は自身のキャリアを話したがらないが、ランボルギーニ・カウンタックには特別な感情を抱いているという。「フェルッチオ・ランボルギーニは、ミウラの次のモデルを考えていました」

「アウトモビリ・ランボルギーニ社が進む未来を象徴する、先進的で革新的な何かを必要としていました。ベルトーネ社は、彼の期待に応える準備が整っていました」

ランボルギーニ・カウンタックLP500プロトタイプ(1971年)
ランボルギーニ・カウンタックLP500プロトタイプ(1971年)

「直線的なラインと面構成が、当時のスタイリングのトレンド。われわれが得意としたデザインです。しかしその功績は、ランボルギーニにあると考えています。手掛けた数多くのコンセプトカーとは異なり、カウンタックは量産されたのですから」

「1971年5月のジュネーブショーでコンセプトカーのランボルギーニLP500が発表されるまで、8か月間という短時間での仕事。技術的なレイアウトと革新を求めるフェルッチオの期待以外、完全な自由が与えられていました」

「オリジナルのプロトタイプが、最も美しいカウンタックです。公道用モデルとするうえで、いくつかの小さな変更が必要でした」

カウンタックという名前についても、ガンディーニは語ってくれた。「最後の2文字にアクセントが来る、ピエモンテ地方で驚いた時に口にする言葉です。人へ伝播するという意味がありますが、ポジティブな気持ちで用いることが通例です」

「プロトタイプを制作する過程でスタッフが、ここがカウンタックだ、などと話していたんです。そこで冗談交じりに、このクルマをカウンタックと呼んでは、とわたしが提案」

「その場に伝説的ドライバーのボブ・ウォレスもいて、英語での発音も確かめました。初めは冗談でしたが、これにはピッタリだと。ヌッチオ・ベルトーネやフェルッチオ・ランボルギーニを説得し、カウンタックと決定したのです」

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