【真のアメリカン・スポーツ】デュポン・モデルG スピードスター 5.3L直8でル・マン参戦 前編

公開 : 2021.08.22 07:05

1919年創業のアメリカの自動車メーカー、デュポン・モーター。ル・マンにも参戦したというスピードスターを、英国編集部がご紹介します。

アメリカ最速のクルマを夢見たデュポン

執筆:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
撮影:James Mann(ジェームズ・マン)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
コルベットやコブラが登場する以前、アメリカ製スポーツカーは珍しい存在だった。その中で最も成功したモデルが、マーサー・レースアバウト。レーシングマシンから派生したそのままの、オープン・コクピットが特徴だ。

1920年代、艶やかなコーチビルドボディをまとったスポーツカーは、裕福な人だけが楽しめるアイテムに過ぎなかった。広大な土地に長大な道路を持つアメリカ人にとって、2シーターのクルマは贅沢品そのものだった。

デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)
デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)

そんな時代に、アメリカ最速のクルマを夢見る男がいた。ノース・カロライナ州ウィルミントンで、海洋製品から高級自動車の生産へ事業転換を図った、ポール・デュポンだ。

裕福な親族の協力が身近にあったデュポンは、1900年代初頭に創業したマーサー・モーター社で営業部長を努めていたウィリアム・スミスと、航空事業を展開するライト・マーティン社で技術者だったジョンAピアソンを招聘。

当時最高の部品を調達し、ハンドビルドの高性能エキゾチック・マシンを開発した。その頃のアメ車としては画期的な、4速MTと優れた潤滑機能を備えるクルマだった。

デュポン・モーター社のモデルとして、自社開発のエンジンを搭載していたのは、最初のモデルAのみ。ハーシェル・スピルマン社製の直列6気筒などがパワフルだと気づくと、社外エンジンへ早期に切り替えた。

モデルEの頃には、排気量の拡大と同時にスーパーチャージャーも搭載。多気筒化も、より多くの馬力を得るうえで有効な手段になっていた。

5.3L直列8気筒のスピードスター

モデルGに積まれたのは、航空機用エンジンを手掛けるコンチネンタル・モータース社製の5.3L直列8気筒。4速MTのほか、油圧ブレーキとショックアブソーバーも採用。美術大学を卒業したての、ジョージ・スウィーバーがボディデザインを担当した。

モデルGで最も速く興奮を誘うクルマが、チューニングされたコンチネンタルLヘッドで強化された直列8気筒を搭載するスピードスター。ホイールベースが125インチ、3175mmのシャシーを持つ、今回ご紹介するクルマだ。

デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)
デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)

専用カムと硬いバルブスプリング、アルミ製ピストンを採用し、最高出力は142ps/3600rpmと、当時としては優勢な数字だった。コンチネンタル社製であることを隠すため、デュポン・ロゴの入ったバルブカーバーがエンジンに被せられた。

ニューヨークで有力なディーラーを営んでいたアルフレドJミランダ・ジュニアは、スピードスターの計画を聞くとデュポンへ提案。コーチビルドを手掛けるブリッグス・ウィーバー社による、象徴的なスタイリングが与えられることになる。

その結果獲得したのが、樽型のフロントノーズと、滑らかに後ろへ流れるワンピースのフェンダー。航空機のようなヘッドライトに、傾斜したフロントガラスもユニークだ。

モデルG スピードスターは、1929年のニューヨーク自動車ショーでデビューする。すぐにセレブからの注文を受け、その1台には赤い蛇革のインテリアが指定された。

ところが大恐慌が世界を襲い、生産されたのは11台限り。驚くことに、6台が現存しているようだ。

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