【真のアメリカン・スポーツ】デュポン・モデルG スピードスター 5.3L直8でル・マン参戦 後編

公開 : 2021.08.22 17:45  更新 : 2022.08.08 07:26

1919年創業のアメリカの自動車メーカー、デュポン・モーター。ル・マンにも参戦したというスピードスターを、英国編集部がご紹介します。

インディ500用に作られたデュポン

執筆:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
撮影:James Mann(ジェームズ・マン)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1929年7月のアイリッシュ・グランプリに、モデルG スピードスターのトランスミッション修理は間に合わなかった。マシンはニューヨークへ送り返されると、公道用モデルGへリビルド。しばらくはポール・デュポンが愛用したが、その後売却された。

1930年、ブリッグス・ウィーバー社は別のデュポンでインディ500に向けたマシン製作を開始。インディアナポリス・スピードウェイを経営するエディ・リッケンバッカーが定めた、ジャンク・フォーミュラと通称されたレギュレーションに誘惑されたようだ。

デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)
デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)

モデルAのシャシーが強化され、モデルG用のエンジンをチューニングし、大きな吸気ポートと2バレル・キャブレターが組まれた。トランスミッションはボルグワーナー社製の3速だった。

軽量な2シーターボディが与えられ、イエローに塗られたデュポンは1519kgに収まった。モラン・ジュニアはドライバーとして参戦。ハンドリングに難はあったものの、144km/hを出し7列目からのスタートを掴んだ。

順調にスタートするが、22周目で先行マシンがオイル漏れ。彼は避けようとするものの、ターン3でクラッシュしリタイアしてしまう。「マシンは制御できなくなり、ガードレールにヒットしました」。後日、モラン・ジュニアが振り返っている。

レースを終えると、モデルAのインディ・レーサーも公道用へ作り直された。ニューヨークのショールームに届けられると、特徴的なヘッドライトとスペアタイヤ、クラクションが戻された。ディーラーの整備士、カーターが長く乗っていたようだ。

映画アニーにも出演しているモデルG

インディ・スピードウェイを戦ったレーサーは、デュポン一家によって保管されてきた。2005年、ポール・デュポンのいとこに当たるランモットが再起を決意。ヒストリックカー・レースへの準備を始める。

スピードスターはピッツバーグ・ヴィンテージ・グランプリやモントレー・ヒストリックなど、戦前のスポーツカーによるイベントへ頻繁に参加。2015年にはペブルビーチ・コンクール・デレガンスに出展されている。

デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)
デュポン・モデルG スピードスター(1929年/北米仕様)

1928年7月から倒産する1932年1月までに製造されたデュポン・モデルGは、スピードスターを含めて273台のみ。現存は約30台で、その多くがデュポン一家が所有する。アメリカでは、カーコレクターが長年探しているブランドでもある。

化粧品で大富豪となったネザーカットが新車で購入したデュポン・モデルGは1956年に発見され、500ドルで売られた。18か月に及ぶレストアを経て、1958年のペブルビーチではベスト・イン・ショーを受賞している。

そのクルマは1982年のミュージカル映画、アニーの大道具として登場。オリバー・ウォーバックスのガレージに収められていた。

アメリカ・フィラデルフィアに住むカーコレクター、フレッド・シメオネも2台のデュポンを所有している。2シーターのモデルG スピードスターと、もとル・マン用4シーターのモデルG スピードスターだ。保存状態は素晴らしい。

2シーターのデュポンは、チャールズ・リンドバーグとともに飛行士として活躍した、スタッフォード・ランバートがオーナーだったクルマ。ボンソワール・グレーに塗られ、これまで3オーナーだという。

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