【英仏のプライド戦】ルノー16 オースチン・マキシ 5ドア・ハッチバックを比較 前編

公開 : 2021.08.21 07:05

1960年代に誕生した、ルノー16とオースチン・マキシ。似たフォルムながら、評価も売れ行きも大きく異なった2台を、英国編集部が振り返ります。

1970年代を迎えるための堅実的な前輪駆動

執筆:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
撮影:Max Edleston(マックス・エドレストン)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
オースチン・マキシほど不遇の時代に生まれたモデルはなかったかもしれない。5ドア・ハッチバックの5シーターボディに、5本のベアリングが組み込まれたオーバーヘッド・カムのEシリーズ・エンジンと5速MTを載せたファミリーカーだ。

国有企業として統合されたブリティッシュ・レイランド(BL)社の救世主として、1970年代を迎えるために誕生した堅実的な前輪駆動モデルだった。旧態化したA60 ファリーナ・シリーズを交代させ、毎週6000台の販売を見込んでいた。

ホワイトのオースチン・マキシ1750と、ダークブルーのルノー16 TL
ホワイトのオースチン・マキシ1750と、ダークブルーのルノー16 TL

4年間という充分な開発期間があったが、実際は尚早な技術の寄せ集めに近く、コスト削減も明白。1968年に第1号車が路上を走り始めたものの、結果は予め見えていたともいえる。

BMC社とレイランド社との合併というゴタゴタから、開発は逃れられずにいた。見た目には多くの批判が集まり、BL社の会長、ロード・ストークス卿は発売直前になってフェイスリフトを求めた。

より美しい姿だったら、初期モデルのケーブルが介在した不快なシフトフィールを許せたかもしれない。ビー玉の入ったバケツを編み棒でかき混ぜる、と感触が表現されるほど。

だが、トランスミッション自体は悪くなかった。コーリン・チャップマンは、そのMTをロータスに流用しているのだから。

コードネームADO14、後にマキシと名付けられるモデルのデザイナーは、ひと回り大きいオースチン1800、ADO17とドアの共有を強いたジョージ・ハリマンに振り回された。開発コストの効果的な回収につなげるため。

ブリティッシュ・レイランドとしての初モデル

大きなドアが、マキシのバランスの悪いプロポーションを決定づけた。ホイールベースは1800より25mmほど短いだけで、不格好に縮小したよう。しかもドア以外、マキシは1800と効率を高められるほど部品を共有していなかった。

オースチン・マキシは、BL社として発売された最初の新モデル。トライアンフのもとで900万ポンドもの資金が投じられ、表面上は素晴らしいコンセプトを持っていた。

オースチン・マキシ1750(1968〜1980年/英国仕様)
オースチン・マキシ1750(1968〜1980年/英国仕様)

大きな1800と、人気の強かった1100と1300(ADO16)とのギャップを埋めることが狙いだった。ところが、1960年代後半のニーズを充分には掴めていなかった。郊外に住む人々は、フォード・コルチナMk2へ流れた。

英国価格は1000ポンドを切った、実用的で小柄なオースチン・マキシ。それでも、シンプルでハンサムなコルチナの人気は奪えなかった。

BL傘下に収まったブランドのうち、モーリスは伝統的な後輪駆動モデルを担当。オースチンは、前輪駆動を主軸とする先進モデルを受け持つという戦略が立てられていた。

そのため、ハイドロラスティック・サスペンションに横置きエンジン、MT内の特殊なサンプシステムなど、高度な技術が開発時に疑問視されることはなかった。バーミンガムには工場が設けられ、オーバーヘッド・カムの新エンジンが組み立てられた。

このEシリーズ・エンジンも一筋縄ではなかった。6気筒化も視野に入れつつ、サイドマウントのラジエターのためにブロックを短くする必要がっあった。ボアアップできる余地は小さく、不自然なほどロング・ストローク化された。

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