【トリノの上級志向】フィアット2300Sとフィアット・ディーノ V6はフェラーリ製 前編
公開 : 2021.09.12 07:05 更新 : 2022.08.08 07:25
プアマンズ・フェラーリと呼ばれた2300
純粋主義者は1968年以前の前期型、ディーノ2000を好む傾向が強い。フィアットとしてはポルシェ911のライバルを狙っていたようだが、ランチア・アウレリアB20の後継モデルとして見るファンも少なからずいた。
同時に、1961年に登場したフィアット2300の後継モデルでもあった。1950年代の希少なフィアットV8以来のエキゾチック・モデルといえた2300は、アルファ・ロメオやランチアといった、上級ブランドの領域へ挑戦したクーペだった。
プアマンズ・フェラーリという呼称を得てしまうが、値段は当時のフェラーリ330GTの3分の1だったから仕方ないだろう。少なくとも1967年までに7000台が生産され、狙いは達成できたといえる。
実際、最高出力106psを発揮した2300Nより、高価で137psを発揮した1300Sの方が遥かに多く売れている。当時で84ポンド程度の価格差しかなかったから、当然ともいえたのだが。
2300クーペのデザインを手掛けたのは、ギア社のトム・ジャーダ。2100サルーンをベースとした少量生産モデルとして、1960年のトリノ自動車ショーで提案された。
フィアットの上層部は、クーペの可能性を理解し生産を決定。2300ベルリーナの駆動系を流用することで、翌年に販売がスタートした。ボディはギアとフィアットとの共同で、1日に25〜30台のペースで組み立てられた。
2300のSでは2279cc直列6気筒の圧縮比を上げ、ハイリフトカムにツインチョーク・ウェーバー・キャブレターを搭載。対向バルブと半球型の燃焼室を備えたシリンダーヘッドの性能を引き出し、Nに30psをプラスしている。
モンツァで3日間平均177km/hを達成
またアバルト社は2300Sのエンジンをチューニング。専用エグゾーストと冷却フィン付きのアルミ製サンプを与え、モンツァ・サーキットで3日間平均177km/hという記録を達成した。エンジンの耐久性を証明するものだった。
Sの137psでは満足できないドライバー向けに、アバルトはその167ps版を提供。最高速度は212km/hに届いたという。
フィアット2300Sクーペは英国にも輸入されているが、価格はジャガーEタイプより1000ポンドも高かった。それでも1968年1月までに、70台の右ハンドル車がドーバー海峡を渡っている。
英国の自動車メディアはフィアット2300Sを暖かく迎えた。ル・マン優勝経験を持つポール・フレールも、個人的にポルシェ356から2300Sへ乗り換え、仕上がりを賞賛。6年間も大切に乗ったようだ。
今回ご紹介するシルバーのフィアット2300Sクーペは、左ハンドル車。オーナーのマーティン・ニールが、英国でデビッド・ホニーブンが営むイタリア車専門店から購入した1台だ。
1965年以降のモデルで、通称シリーズ2と呼ばれる。複雑なデザインのホイールカバーに、ボディサイドのクロームモール、フロントフェンダー後端のグリルが見た目の特徴。エンジンにはオルタネーターが組まれている。
ドアはしっとりと閉まり、フロントヒンジのボンネットにも支持用のスプリングが付く。2300Sの作りの良さや装備の充実ぶりを、そこかしこから感じ取れる。
この続きは後編にて。