【英国の影の工場】デイムラー/ジャガー ルーツ スタンダード/トライアンフ 前編

公開 : 2021.09.19 07:05  更新 : 2021.10.15 13:23

2. ラドフォード:デイムラー/ジャガー

1. に続いて、デイムラーとジャガー。コベントリー・エリアには、大きな2拠点を構えていた。かつてのラドフォード・シャドー工場は、ランチェスターと、後に買収するデイムラーのモデルが製造されていた場所だった。

戦時中は装甲車の製造をしていた。戦争が集結すると、高級車に続いて、スポーツカーのデイムラー・ダートSP250も生産が始められる。1960年からはデイムラーを買収したジャガーが工場を利用し、V型12気筒エンジンの製造などを行った。

ラドフォード:デイムラー/ジャガーのシャドー・ファクトリーの様子
ラドフォード:デイムラー/ジャガーのシャドー・ファクトリーの様子

スタンダード・トライアンフも工場の一部を取得。レースカーのトライアンフTRS製造のほか、グループBラリーを戦ったMGメトロ6R4のエンジンなども作られた。

1990年、ジャガーはフォードが買収。今では工場のあった跡地は、住宅地として利用されている。

マニアな小ネタ:ラドフォードには、バスの製造工場も存在していた。3バルブ・エンジンも組み立てられていた。その中でデイムラー・ダートSP250は、唯一この場所で製造されたスポーツカーだった。

3. ライトン:ルーツ・グループ

ヒルマンやハンバー、サンビーム、タルボといったブランドが属していた、ルーツ・グループ。事業は拡大し、1939年にはどこの工場も手狭になっていた。

そこでA45号線沿いに建設されたのが、コベントリー近郊、ライトンのシャドー工場。ルーツ・グループにとっても大きな恵みとなった。大戦が始まると、ライトン工場では多くの軍用車両や航空機用エンジンが生産された。

ライトン:ルーツ・グループのシャドー・ファクトリーの様子
ライトン:ルーツ・グループのシャドー・ファクトリーの様子

戦争終結後、ライトンの工場は自家用車の製造へシフト。サンビーム・タルボ、ハンバーなど、多くの市民向け車両がラインオフした。

ヒルマン・アベンジャーズは1970年から製造が開始。プジョーも1980年代にコベントリーでの生産を始めるものの、フランス企業はその後撤退。すべてが売却されている。

コベントリー・エリアにはその後、近代的な建造物が数多く出現した。その中の1つには、ジャガー・ランドローバー社の大規模な複合施設も含まれている。

マニアな小ネタ:ライトンのシャドー工場は戦後しばらく、サンビーム・タルボの生産拠点として活用されている。

4. カンリー:スタンダード/トライアンフ

キャブレターを製造するクローデル・ホブソン社や、航空機エンジンを手掛けるブリストル・マーキュリー社の小規模工場などが位置していた、コベントリー近郊のカンリー・エリア。第二次大戦に合わせるように改修が急進する。

スタンダード社のサルーン、フライング・スタンダードを製造していた工場は、ブリストル・ボーファイター戦闘機やモスキート爆撃機の組み立て拠点へ転身した。

カンリー:スタンダード/トライアンフのシャドー・ファクトリーの様子
カンリー:スタンダード/トライアンフのシャドー・ファクトリーの様子

戦争が終結すると、その場所はスタンダード社やトライアンフ社の生産拠点へ一新。建物を活かし、ヴァンガードにヘラルド、TRシリーズにスピットファイア、スタッグなど、傑作モデルがラインオフした。

航空機エンジンのウェットライナー技術がそのまま採用され、設計開発部門のあった場所は、キャブレターの製造施設へ置き換わった。ブリテッシュ・レイランド傘下にあったオースチン・ローバーのスタイリング部門も稼働していた。

だが、いずれのブランドも勢いをなくし、1980年代には自動車の製造は終了。2000年代に入ると、施設自体も姿を消した。

マニアな小ネタ:1961年に工場の組み立てエリアが拡張。ロケット・レンジというあだ名が付いていたという。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    グラハム・ロブソン

    Graham Robson

    英国編集部
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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