【21世紀の英国スポーツ】ジェンセンS-V8とモーガン・エアロ8 V8のロードスター 前編

公開 : 2021.09.25 07:05  更新 : 2021.10.11 16:26

わずか23台で生産終了となったC-V8

翌2001年に発売がスタート。英国東部、マージーサイド州リバプールに工場が新設され、ジェンセンは見事な復活を遂げるかに思えた。しかしクルマの納車が始まると同時に、いくつもの不具合が発覚する。

毎週3台という生産体制で、工場の経営は急速に悪化。損益分岐点を下回り、2002年までに23台のC-V8が工場を離れた段階で投資者が手を引いてしまう。ジェンセンが真新しいスポーツカーを開発するには、当時900万ポンドでは足りなかったのだ。

メタリックブルーのジェンセンS-V8とワインレッドのモーガン・エアロ8 シリーズ1
メタリックブルーのジェンセンS-V8とワインレッドのモーガンエアロ8 シリーズ1

残りのボディや部品はSVオートモーティブ社が買い取り、さらに10台ほどのC-V8を製造するが、ギブアップ。バルカン・プロジェクトには、優れたリーダーや品質管理、労働力が不足していたのだろう。

一方でバーミンガムの南、マルバーンに工場を以前から構えていたモーガンには、そんな悩みはなかった。エアロ8は1963年の+4プラス以来となる新生モーガンと考えたくなるが、実際はそこまで新しくもない。

目新しいグラスファイバー・ボディで身を包んでいるが、その内側のシャシーはオールドスクール。起源は1936年の4/4にまでさかのぼる。少し不釣り合いな+4プラスと、プロポーションはだいぶ異なるが。

2000年に登場したエアロ8は、それまでの+4プラスとは異なるアプローチが取られている。ボディはモーガンらしいカタチではあったが、遥かに優れた動的性能が与えられていた。最新技術を採用し、ブランドの魅力を拡張させていた。

BMWのV8エンジンを積むエアロ8

エアロ8の発端は創業者の息子、チャールズ・モーガンが1996年からモータースポーツに参戦させていた+8レーサー。金属加工を専門とするラドシェイプ社の協力を借り、モーガンの技術者たちによって開発された。

フラットフロアのアルミニウム製シャシーは接着剤で組まれ、シングルシーターのレーシングマシンに影響を受けた、ダブルウイッシュボーン式のサスペンションが備わる。フロントのコイルはインボードタイプ。トップウイッシュボーンは、片持ち式だ。

モーガン・エアロ8 シリーズ1(2000〜2004年/英国仕様)
モーガン・エアロ8 シリーズ1(2000〜2004年/英国仕様)

モーガンの伝統を巧みに受け継いだボディは、アッシュ材のフレームを採用。エンジニアのクリス・ローレンスとチャールズの手によるもので、アルミ製ボディパネルはスーパーフォーム技法を用いて成形されている。

V8エンジンはBMW由来。最高出力290psを発揮する、4.4LのM62ユニットを搭載する。トランスミッションは6速MTが組まれた。

モーガン・エアロ8の発表も暖かく迎えられた。寄り目だと揶揄された、ヘッドライトの処理を除いて。後年に目元の整形手術を受け、第5世代まで進化を重ね、エアロ8は2018年まで製造が続けられている。

その間、同じシャシーは復活した+8にも登用。実ることはなかったが、2015年のブリストル・ビュレットにも採用されている。

今回ご登場願った2台のうち、メタリック・ブルーのジェンセンは、長年のエンスージァストであるアラン・ロブソンがオーナー。6番目に製造されたS-V8で、走行距離は6500kmにも届いていない。過去のオーナーは、新車で購入した1人だけだという。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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