【危険ゾーンを減らせ】スパ・フランコルシャン 事故多発の難コーナー「オールージュ」とは
公開 : 2021.09.12 18:05 更新 : 2021.09.13 21:53
激しいレースが繰り広げられるスパ・フランコルシャンで、重大なクラッシュが多発。対策が求められています。
世界的サーキットの難コーナー
1985年、F1ドライバーのステファン・ベロフは、スパ・フランコルシャンでジャッキー・イクスと激しい攻防を繰り広げ、「オールージュ」と呼ばれるコーナーで果敢に勝負を挑んだ結果クラッシュしてしまい、命を落とすことになった。
1993年にはアレックス・ザナルディが同じ場所でクラッシュを起こして負傷。その6年後にも、チームメイトであるジャック・ビルヌーブとリカルド・ゾンタが大クラッシュを演じた。オールージュはスパ・フランコルシャンでのレースを華やかに盛り上げるコーナーであるが、解決すべき問題もそこにはある。
スパ・フランコルシャンが絵に描いたような美しいコースであることに変わりはないが、かつて全長14kmの旧コースに挑んだドライバーたちは、バーネンビルやマスタ・キンクのような恐ろしいコーナーで悲鳴を上げたに違いない。
ポルシェ917のヒーローであり、1968年のレコンブでの恐ろしいクラッシュを経験したブライアン・レッドマンは、スパのレース前夜に涙ながらに祈りを捧げていたことを明かしている。当時のドライバーたちは、レース当日の朝にホテルを出るとき、荷物をまとめて部屋をきれいにしておく傾向があった。そして、鍵をかけるときには、もう戻ってこられないのではないかと、後ろを振り返るのである。
もちろん、コースが改正されたり、広大なアスファルトのランオフが新設されたり、安全性を向上させる取り組みはこれまでにも行われてきた。姿は大きく変わったが、依然としてあらゆるレーサーの心を惹きつけるサーキットであることに変わりはない。この場所は、今でも尊敬を集めている。
8月には2度の大クラッシュ
オールージュとラディオンでは、ここ数週間、不穏な接戦が続いており、注目を集めていた。8月の初めには、ウィリアムズF1のリザーブドライバーであるジャック・エイトケンが、スパ24時間レースの序盤で激しいクラッシュを演じ、脊椎と鎖骨を折る大怪我を負った。
また、ベルギーGPの予選では、マクラーレンのランド・ノリスが悪条件の中でコントロールを失い、スピンしてしまった。その前日には、Wシリーズの予選で、6台が絡む大クラッシュが発生している。マシン同士がぶつかり合う鈍い音、横転したタトゥスT-318から這い出てきたベイスク・フィッセールが足を引きずりながら倒れ込む姿は(幸いにも軽傷だった)、とても恐ろしく、悲しい光景だった。
これらの事故で誰も命を落とさなかったのは、現代のレーシングカーの設計と、サーキットでの安全対策の賜物である。しかし、F2ドライバーのアントワーヌ・ユベールがここで幸運に恵まれなかったのは、わずか2年前のことだ。最悪の事態はこれまでも起こってきたし、これからも起こる可能性はある。このまま放置していいとは思えない。
レーシングドライバーがオールージュを愛するのは、シケインで右へ左へ振られた後、ヘアピンのラ・ソースを抜け、ラディオンを越えてケンメル・ストレートに突入するという一連の流れを楽しんでいるからだ。しかし、ドライバーたちは、コースレイアウトそのものではなくランオフに何か対策を施すよう求めている。
エイトケンやアルファ・ロメオのリザーブドライバーであるカラム・イロットなど、声を上げた人たちは称賛されるべきだろう。昔から人気があるからといって、そのまま神聖化して問題を放置してはいけない。
イモラでローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナが亡くなった後、F1は慌ててシケインを追加し、タンブレロを完全に消滅させてしまった。幸いなことに、これは一時的のものであった。今、そのような改変を歓迎する人は、エイトケンたちを含めて誰もいないだろう。彼らが求めているのはそういうことではない。
このシークエンスはハードであるべきで、むしろ簡単にする方が難しいと言っても過言ではない。しかし、失敗したときの影響は、はるかに小さくする必要がある。