【マリンGP】ヒストリックカー・ミーティングを受け継ぎ 秋の知多半島を名車たちが駆け抜ける

公開 : 2021.10.13 18:05  更新 : 2021.10.13 20:32

中部地方にヒストリックカー・ラリーが復活。コロナ禍で延期が続いていたものの、ようやく秋のステージが開催されました。ラリーを待ち望んでいた参加者たちは、秋の一日を愛機とともに楽しんでいたのが印象的です。

中部地方にヒストリックカー・ラリーが復活

日本各地でヒストリックカー・ラリーが数多く開催されているが、中部地方を代表する存在として親しまれていたのが2010年に始まったヒストリックカー・ミーティングだ。

自らラリー・フリークだった天野正治氏が、五感を刺激する極上の『車旅』をテーマに開始。参加者が楽しめる内容とおもてなしから、日本のトップクラスへと上り詰めた。

初めての開催ながら、かつてのヒストリックカー・ミーティングの参加者を中心に55台のエントリーを数えた。
初めての開催ながら、かつてのヒストリックカー・ミーティングの参加者を中心に55台のエントリーを数えた。    上野和秀

しかし、ヒストリックカー・ミーティングを主宰していた天野氏が2018年2月に急逝し、その活動に突然ピリオドが打たれてしまった

2020年4月にかつての運営スタッフ有志により、ヒストリックカー・ミーティングを受け継ぐヒストリックカー・ラリーとして「サクララリー」の開催が企画された。

しかし新型コロナ感染症の拡大により中止に追い込まれ、改めて今年4月に行われる予定だったものが、コロナ禍でまたしても開催を断念することになってしまった。

こうした中、緊急事態宣言が明けた10月3日に1ディの「マリンGP」を、参加全員の抗原検査を行うなど万全の感染対策を施してようやく開催することにこぎつけた。

まずは1ディのマリンGPからスタート

4月に予定されていた「サクララリー」は伊勢志摩を舞台にする2日間のラリーだったが、「マリンGP」は往年の「名古屋クラシックツアー」に相当する1ディで行われた。

「マリンGP」にはヒストリックカー・ミーティングに参加していたエントラントを中心に55台がエントリー。スタート地点には見覚えのある仲間たちが集まっていた。

PC競技は3か所に設けられた。2回目は競技としてはキャンセルされ練習用となったが、3回目のPCは長短5連続という難易度の高いセクションが用意された。
PC競技は3か所に設けられた。2回目は競技としてはキャンセルされ練習用となったが、3回目のPCは長短5連続という難易度の高いセクションが用意された。    上野和秀

開会セレモニーでは実行委員会事務局長の磯部光伸氏の挨拶に続き、クルマ好きで知られる衆議院議員の古川元久氏が祝辞を述べるとともに、名古屋市章旗を振ってスタートを盛り上げてくれた。

今回のルートは名古屋市役所を起点に風光明媚な渥美半島を巡り、中部国際空港近くのNTPマリーナりんくうをフィニッシュとする約103kmのルートが組まれた。

途中に設けられたPC(定められた区間を規定タイムにいかに近く走るかを競う競技)は、1本目は足慣らしを兼ねて3連続、2本目は内海浜東浜駐車場に3連続で設けられた。

2本目のPCはコロナ禍の影響によりキャンセルとなり練習用とされ、3回目はゴール直前のNTPマリーナりんくう横に長短5連続という難易度の高いセクションが用意された。

今後は年2回の開催を予定

ゴール後はNTPマリーナりんくう内の特設ステージで表彰式が行われた。各クラスの上位5組と総合クラス上位のクルーがステージで栄光を称えられ、協賛スポンサーからの豪華な賞品が入賞者に贈られた。

実行委員会事務局長の磯部光伸氏によれば、今後の予定としてしては春に伊勢志摩方面を舞台に行う1泊の「サクララリー」と、秋に海をテーマにした1ディのマリンGPという方向で行われるという。

ヒストリックカー・ミーティングの運営スタッフ有志により、志を受け継ぐサクララリーが設立された。初ラリーとなるマリンGPで挨拶する磯部光伸事務局長。
ヒストリックカー・ミーティングの運営スタッフ有志により、志を受け継ぐサクララリーが設立された。初ラリーとなるマリンGPで挨拶する磯部光伸事務局長。    上野和秀

当初は参加しやすくすることからスタートし、次第に格式を高めてゆきたい、と考えているという。あわせて開催するエリアへの地域貢献としてチャリティ募金を行い、今回集まった募金は常滑市に寄付されるという。

中部地方に復活したヒストリックカー・ラリーは明確な方向性を持って開催されるだけに、今後の発展に期待したい。

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。
  • 編集

    上野太朗

    Taro Ueno

    1991年生まれ。親が買ってくれた玩具はミニカー、ゲームはレース系、書籍は自動車関連、週末は父のサーキット走行のタイム計測というエリート・コース(?)を歩む。学生時代はボルボ940→アルファ・スパイダー(916)→トヨタ86→アルファ156→マツダ・ロードスター(NC)→VWゴルフGTIにありったけのお金を溶かす。ある日突然、編集長から「遊びにこない?」の電話。現職に至る。

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