ロータス・エリーゼ シリーズ1かシリーズ2か ヘセルを救った傑作スポーツ 前編
公開 : 2021.11.06 07:05
ロータスの再生を象徴したモデル、エリーゼ。誕生から25年が過ぎ、クラシックとしての道を歩み始めたスポーツカーを英国編集部が堪能しました。
公道で安全に味わえるエリーゼの能力
小さく短いドアを開かずとも、ロータス・エリーゼの走りが想像できる。ステアリング・フィールには微塵の課題もない。スポーツカーというより、機敏なレーシングカートのように操れる。一度乗れば、忘れられなくなるような体験だ。
あまりに流暢にコーナーを旋回するあまり、ストレートを疾走したいと感じるスキすらない。スペックシートに並ぶ数字以上に、身体をシートに沈めステアリングホイールを握れば、遥かに速く感じられる。
筆者がロータス・エリーゼを初めて運転してから25年が経つ。小さなスポーツカーは、すべてのライバルを凌駕するほどの輝きを放っていた。今改めて、その輝きは増しているように感じる。
謙虚なスペックも、エリーゼの神秘性を生み出している要素の1つ。平均的なドライバーにとって、圧倒されるほど大きな数字が並んでいるわけではない。小さなボディに巨大なパワーを押し込んだ、というには控えめ過ぎる。
よりパワフルなクルマが、より速いとは限らない。ドライバーに対して冷徹になり、可能性を充分に引き出すことも難しくなる。だがエリーゼなら、未知のコーナーや路面状況でも、アクセルペダルのストロークを使い切れる。
どんなカーブでも、安全にドライバーが遊べる。近所の短い区間でも。
現代のスポーツカーで限界領域を探ろうとするなら、サーキットへ持ち込まなければ難しい。しかしエリーゼなら安全に公道で味わえる。誕生から25年間、誰もその水準へ迫ることはできなかった。
極めて正直なロードホールディング感
ロータスの本拠地、ヘセルでエリーゼが生み出される時代は間もなく終わる。エリーゼは、モデルライフを見事にまっとうした。スポーツカーのゲームチェンジャーとして活躍し、ロータスを救った。
1990年に前輪駆動として生まれ変わったM100型エランは、当初の期待とは裏腹に、ファンの心を充分に掴むことはできず、ロータスの経営を不安定にさせた。その窮地を救ったクルマこそ、エリーゼだ。
1994年、ブガッティがロータスの経営権を取得。エランは一時復活するものの、最終的にキアへ受け渡される。ロータスはデザイナーのジュリアン・トムソン氏の力を借り、英国スポーツカー・ブランドとして復活に再び挑むこととなる。
ロータス・エリーゼが発表されたのは、1995年のフランクフルト・モーターショー。ブガッティはイタリア・デザイナーの協力を仰ぎ、次期モデルの提案を密かに進めるが、ロータス社内で練られたエリーゼの仕上がりは見事だった。
エヴォーラと合わせれば、ロータスが製造した台数の半数以上の注文を集める、大成功を導いた。ドライバーの支持を集めた理由は、想像に難くない。
エリーゼのロードホールディング感は極めて正直。指先やつま先と、シャシーや路面とのつながりを、電子的なトリックや過剰な反応が邪魔することは一切ない。ドライバーが操作した通りに速く、気持ちイイ。
思わず笑顔になり、さらに上を求めたくなる。より長く運転したいと思えるし、より多くのコーナーを攻めたいと思える。スキルを磨きたいとも。