【買えないなら作っちゃえ】ティレルP34 伝説の6輪F1が蘇る レース愛好家が精巧に再現

公開 : 2021.10.30 06:25  更新 : 2021.10.31 18:18

1970年代、F1界に名を残す6輪車が登場しました。この伝説のマシンを自分で作った愛好家を紹介します。

伝説の6輪マシンを自分で作った男

昔、レミントン社製シェーバーの海外の広告で、「感動して会社を買いました!」というものがあった。ミシガン州の不動産開発業者であるジョナサン・ホルツマンの話を聞いていると、これと同じような米国の資本主義精神が頭に浮かぶ。

ホルツマンはF1の熱狂的なファンで、1976年製のティレルP34を購入してヒストリックレースに出場したいと考えていたが、誰も売ってくれなかった。それで諦めたのかというとそんなことはなく、彼はなんと自分で作ることにした。「我々米国人のことを知っているでしょう?ノーとは言えないんですよ」と彼は笑う。

ティレルP34
ティレルP34

クラシックカーの世界では、「オリジナリティ」こそ素晴らしいものであり、「Rワード(レプリカ)」はしばしば汚い言葉だと考えられている。自身のヒストリック・レーシングカーが本物であることを証明すれば、その価値は急上昇する。歴史的に重要なドライバーがレースに参加したことを証明すれば、価格は再び上昇する。そして、グランプリなどの国際的なレースで実際に優勝したことを証明すると、ケタが変わる。

本物に偽装しようとする人には災いが降りかかる。しかし、ホルツマンは違った。ホルツマンは、自分がやったことをすべてオープンにしているし、実際、「古いものに似せた新しいものを作った」と声高に訴えている。ただし、新しく作った2台のP34については「レプリカ」ではなく、「コンティニュエーション」であると主張している。

コンティニュエーションには「継続」という意味があり、生産終了したクラシックカーの復刻生産に使われることが多い。通常は自動車メーカーが当時の部品などを使用して仕様を忠実に再現するものだが、ホルツマンは個人でP34を作り、コンティニュエーションモデルとしてレースに参加している。

ティレルP34というマシンは、単なる骨董品ではない。デザイナーのデレク・ガードナーは、4輪駆動を専門とするハリー・ファーガソン・リサーチ社に勤務していた1968年にP34のアイデアを思いついた。彼はケン・ティレルを説得して、革命的なF1カーのコンセプトを実現させたが、4輪駆動は構想に入っていなかった。その代わり、ノーズの後ろに隠れている4本の小径(10インチ)ホイールが空力的な揚力と抗力を減少させる効果があると言われていた。

後にフェラーリのワールドチャンピオンとなるジョディ・シェクター(当時はティレルから参戦)が、1976年にP34を駆ってスウェーデンGPで優勝し、ジェームス・ハント、ニキ・ラウダに次ぐ3位でシーズンを終え、チームメイトのパトリック・デパイユとともにティレルをチームランキング3位に押し上げた。

6輪のメリットについては議論の余地があるが、当初P34が成功を収めていたことは確かだ。しかし、グッドイヤーの小径タイヤの開発が停滞した2年目のシーズンには、その成果はほとんど見られなかった。仕方なくティレルは既存のマシンを改造して、1977年シーズンに臨んだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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