【買えないなら作っちゃえ】ティレルP34 伝説の6輪F1が蘇る レース愛好家が精巧に再現

公開 : 2021.10.30 06:25  更新 : 2021.10.31 18:18

ティレルからの承認も獲得

ホルツマンにオリジナルのマシンを売らなかったのは、元ミナルディのF1ドライバーでBMWのル・マン優勝者でもあるピエルルイジ・マルティニ。彼は2台のP34を所有している。

「マルティニには一度も会ったことがありませんが、1977年製のマシンを250万ドル(約2億8000万円)で買いたいと申し出たところ、断られてしまいました」とホルツマンは言う。「でも、彼が断ってくれて本当によかった。1977年のマシンにそれだけのお金を払っていたら、1976年のレースは誰も見られなくなっていただろうからね」

ティレルP34
ティレルP34

そこで、1970年代にF1に参戦したプライベーター、コリンの息子で、英ウォリントンに拠点を置くCGAエンジニアリング社の社長であるアリスター・ベネットがアイデアを出した。彼とのやり取りについて、ホルツマンは次のように話している。

「わたしは、『買おうとしたけど買えなかった』と話したんです。するとアリスターは、『わたし達なら作ることができる』と言いました。彼との間で記憶が違うところがあって、わたしは彼が『2つ作ろう』と言い出したと思っているんですが、彼はわたしが言ったと思っています。いずれにしても、わたしは『OK』と答えました」

「なぜ2台なのかというと、レースでは2台でチームを組むのが普通だからです。コレクションやミュージアムではなく、レース場に2台あるのは素晴らしいことだと思ったのです」

最初の課題は、ティレル家に、このマシンが「ティレル」として正式に分類されるための許可をもらうことだった。ヒストリック・レーシングカーを専門とするスピードマスター社のジェームズ・ハンソンが、チーム創設者の故ケンの息子であるボブ・ティレルとの交渉を担当した。

「そんなことは考えたこともありませんでした」とティレルは言う。「熟考の末、最終的には『6輪車がレースに出られないのはもったいない』という結論に達したんです。最も有名なF1カーと言っても過言ではありません。だからこそ、2台のライセンスに合意したのです」

このライセンスは、「コンティニュエーション」と「レプリカ」を区別するための重要なポイントである。CGAは、ティレル家が所有している230枚のオリジナル設計図を入手することに成功。1977年末にティレル社に入社した製図技師のジョン・ジェントリーがコンサルタントとして加わり、CADの作業を監督した。また、1977年のシャシー6(スイスの時計メーカー、リシャール・ミルが所有)を分解して部品をスキャンする機会にも恵まれた。複雑な3Dのジグソーパズルを、1つ1つ作っていくような感覚だろうか。

また、細部のディテールについては、思いがけないソースがあった。ホルツマンは、「ノーズとシートの図面が見つからなかったんです。そこで、タミヤ(田宮模型)の模型をスキャンして実物大にしたのです」と語る。

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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