サンビーム 3リッター・スーパースポーツ 初代オーナーは地上最速の男 後編

公開 : 2021.11.13 07:06

地上最速記録に挑んだドライバー、セグレイブが乗った3リッター・スーパースポーツ。当時の栄光を今に伝えるサンビームを、英国編集部がご紹介します。

米国へ渡った3リッター・スーパースポーツ

執筆:Mick Walsh(ミック・ウォルシュ)
撮影:Max Edleston(マックス・エドレストン)
翻訳:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
サンビーム 3リッター・スーパースポーツ、通称ツインカムの1926年当時の英国価格は、ボディ付きで1125ポンド。シャシーのみなら950ポンドだった。鮮やかなツートンカラーが、多くの富裕層にアピールしたはず。

その最初のオーナーは、後に地上最速記録を残すこととなるヘンリー・セグレイブ氏だった。フラッグシップ・モデルとして設計にも関わり、レーサーとして活躍していたセグレイブに、報酬の一部として贈られたと考えられている。

サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)
サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)

その頃には、最速記録への挑戦が始まっていた。ジョン・サミュエル・アーヴィング氏の設計で秘密裏に進められていた、排気量45Lのツインエンジン・マシン、サンビーム1000hpで。

セグレイブがロンドンの自宅の前から、女優だったドリス・メアリー・ストッカー夫人とドライブした様子を想像してみる。サンビームの拠点があったウルヴァハンプトンへの旅行では、ツインエンジン・モンスターの進展具合を確認したはずだ。

3リッター・スーパースポーツは1927年3月に、レコードブレーカーの1000hpとニューヨークへ船で旅立った。セグレイブのレーシングチームとともに。さらに海路でフロリダ州ジャクソンビルへ移動すると、驚異的な歓迎を受けたようだ。

サンビームのディレクターを務めていた技術者のコータレンは、記録更新に向けたPRを積極的に展開。サンビームのスポーツカーと勇敢なチャレンジャーの登場に、フロリダ州の人々興奮したことだろう。

サンビーム1000hpで327.97km/hを樹立

地元警察が護衛する中、英国人エースドライバーは、ツインカムの3リッター・スーパースポーツで移動。当時の様子を見ると、セグレイブが現地の要人とともに浜辺を走らせている姿がある。

同乗したカメラマンが、イエーガー社製の白いスピードメーターを映す。速度は120km/hに届いていた。アールデコ様式のクラレンドン・ホテルの前では、暗い色調のアメリカ製セダンのなかで、白ボディがひときわ輝いて見えたはずだ。

サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)
サンビーム 3リッター・スーパースポーツ(1926年/英国仕様)

そして1927年3月29日、真っ赤に塗られた1000hpは、西海岸の浜辺で203.793mph、327.97km/hを樹立。当時の地上最速記録で、英国の立場を確固たるものとした。パドックでは、セグレイブが大勢の観衆に迎えられたに違いない。

英国人ドライバーでブルーバードと呼ばれた、マルコム・キャンベル氏とセグレイブとの戦いは、当時の国際的なニュースだった。英国南部のペンディン・サンズ・ビーチでブルーバードが残した記録を約30mph、48.2km/hもセグレイブは更新したのだった。

水上最速記録を保持していた、ガーフィールド・ウッド氏もフロリダを訪れ、彼の記録を目撃した1人。水上記録の更新も狙っていたセグレイブは、技術者でもあり起業家でもあったウッドを知っていた。

彼が設計するボートは先進的なもので、セグレイブが記録を達成すると、2人は夕食で意気投合。ツインカムの3リッター・スーパースポーツと、スピードボートの船体2艇とを交換する約束を結んだという。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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