モスクヴィッチ/ヴァルトブルク/ラーダ 英国で歓迎されたソ連の大衆車 後編
公開 : 2021.11.28 07:06
冷戦時代のソ連で作られていた、簡素な大衆車。1970年代の英国家庭に迎えられた3台を、英国編集部がご紹介します。
車内の眺めはフィアット124に近似
VAZ 2101、欧州名ラーダ1200のボディは、塩が撒かれる凍結路にも耐えられるよう、フィアット124より肉厚な鋼材が使用されている。それでも防錆性が高いとはいえなかった。不整地に対応するため車高は持ち上げられ、サスペンションは強化されている。
124では四輪ディスクブレーキだが、2101はリア側をドラムブレーキへ変更。耐久性を高めるとともに、過酷な環境下での機能性を維持した。その結果、フィアット124の車重は約845kgだが、2101では約955kgへ増加している。
VAZ 2101の発売から、ラーダ1200として英国へ輸入が始まるまで、4年のブランクがある。それは、フィアットが結んだ契約内容が関係していた。124が販売されている国では、1200を販売できなかったのだ。
1974年に後継モデルのフィアット131 ミラフィオーリが英国で発売されるまで、ラーダは待つ必要があった。そのかわり、英国人はフィアット124に見慣れていたから、ラーダ1200もすぐに受け入れられたようだ。
実際、スカイブルーとアイボリーのツートーンに塗られた1200の車内は、ダッシュボードにメーターパネル、ヒーターの送風口など、フィアット124と変わりない。1976年式で、スティーブン・フロイド氏がオーナーだ。
明らかに違う部分は、クロームメッキされたホーンリングが付いた2スポークのステアリングホイール。これは、フィアットが124のフェイスリフトで採用をやめたもの。後期型には付いていなかった。
キーをひねると、ソ連のNAMIが開発した4気筒エンジンの実務的な音が聞こえてくる。滑らかに回転するが、トリノ製のユニットではないことがわかる。
遊びの多いステアリングに弱いブレーキ
1980年にラーダで運転を覚え、それ以来何台も乗り継いできたフロイドは、1200のベーシックな成り立ちが好きだと話す。「屋根付きガレージを持たない人でも維持でき、走らせられるように設計されています」
ボンネットを開くと、彼の意見に納得できる。作業灯が灯り、エンジンのそばには燃料ポンプの与圧レバーが付いている。氷点下のシベリアでも、始動性を保てるように。
荷室には、軍隊が用いていそうな無骨なツールキットが用意されている。始動用のハンドルに点火ポイントのアジャスター、タイヤのエアポンプも含まれている。どこでも直せそうだ。
まず筆者がステアリングホイールを握ったのは、ラーダ1200。1970年代の、現代とは別次元の走りを体験できる。低速域ではステアリングホイールが過度に重くなり、スピードが高まると中心付近での遊びが増える。常に修正舵を当て続ける必要がある。
クラッチペダルは軽め。フィアット124 スポーツのトランスミッションを強化したもので、シフトレバーのストロークは短い。手応えは正確で、サクサクと次のギアを選べる。
最高出力は62psしかないから、速くはない。しかしNAMIユニットはトルクが厚く、坂道でも小気味よく登っていく。下り坂は要注意。ブレーキペダルの感触は悪く、効きも弱い。事前の予測が不可欠だ。
続いてティム・ビショップ氏とマイケル・ライマン氏がオーナーの、ヴァルトブルク・ナイトに乗り換える。大きな2スポークのステアリングホイールの奥に、四角いメーターパネルが見える。フロントシートは肉厚だ。