ベントレーS1コンチネンタル・ジェームス・ヤング4ドア レストアで第二の人生 後編

公開 : 2021.12.04 07:06

コーチビルダー、ジェームス・ヤング社によるベントレー。見事にレストアされた1台を英国編集部がご紹介します。

技術と情熱を持った職人との出会い

ベントレーS1コンチネンタルのレストアでは、オリジナリティの高さにこだわっていたオーナーのアーニー・ウォレンダー氏だが、エンターテインメント・システムの装備も望んでいた。当然、クラシックなインテリアと調和させる必要があった。

そこでレストアを進める友人のマシュー・リース氏は、ジャガーランドローバーのヘッドユニットに目を付けた。ナビとブルートゥース、デジタルラジオに対応し、比較的安価だったという。

ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドア(1957〜1959年/英国仕様)
ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドア(1957〜1959年/英国仕様)

ともに作業を進める木工職人のアヤヴェン・リース氏は、ボストン・アコースティックス社製のスピーカーが収まるエンクロージャーを、フロントドアとCピラーに製作。当時モノのタンノイ社製スピーカーと、雰囲気も合わされている。

内装を予算内で仕上げる職人探しも、リースの重要な仕事の1つ。「卓越した技術と情熱を持った、クルマへの理解が高い職人さんに出会うことは、とても幸運なこと。時間さえ許せば、何でも作り直すことができました」

キーシリンダーのリビルドは、カギを得意とする地元業者へ依頼。クリーム色のレザーシートは、GCJオートモーティブ・リコンディショニング社に仕立て直してもらった。

ロールス・ロイスのレストアを専門とするグレン・グリンドロッド氏からは、沢山の写真をメールで提供してもらった。ベントレーの、完成後の正しい姿を確認するために。

走行距離はステッカーのディーラーで確認

イアン・デイビス氏とエイドリアン・ニール氏には、ボディパネルの仕上げと塗装を依頼。ボディサイドの滑らかなラインは、職人によるフリーハンドだ。ホイールキャップのデザインにも呼応している。

「ホイールキャップは機械ではなく、最終的に手作業で仕上げたそうです。費用はたった80ポンド(1万2000円)。素晴らしい技術に感銘し、上乗せして支払いました」。とリースが笑顔を見せる。

ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドア(1957〜1959年/英国仕様)
ベントレーS1コンチネンタル・ジェームズ・ヤング4ドア(1957〜1959年/英国仕様)

エンジンは、さほど苦労なく始動した。イアンの父、アルン・デイビス氏は、既にリタイアしていたものの腕利きのメカニックだった。耳で音を聞きながらエンジンを調整したが、美しいメカニズムに携われたという理由で、お金は取られなかったという。

そこでウォレンダーは上等なモルト・ウイスキーを購入。アルンへ贈っている。

レストアに終わりの光が見えた頃、ベントレーの歴史も徐々に明らかになる。初代オーナーは、テレビ・キャビネットの生産で富を得た、ビクター・エルコラーニ氏だった。

コーチビルダーのジェームズ・ヤング社のボディを好み、約8000ポンドというS1コンチネンタルの価格もいとわなかったのだろう。彼は妻と移動中、ベントレーで事故にあっている。左のフロントフェンダーに、きれいに直された跡が見つかった。

その後、S1コンチネンタルはフランスと北米へ。マーシャル社製のパーキングライトが付いていた。短い走行距離は、リアウインドウに残っていたディーラーのステッカーを手がかりに、間違いないことが確認された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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