誰も知らないスーパーカー 50選 前編 ひっそりと消えた不運な珍車・名車

公開 : 2021.11.27 06:05

童夢・零(1978年)

1978年のジュネーブ・モーターショーで「童夢・零(ドウム・ゼロ)」が公開されたとき、日本のメーカーがどうしてこんな奇抜なものを作れたのかと、誰もが息をのんだ。

カウンタックよりもクレイジーな零は、残念ながら日本でのホモロゲーションテストを受ける余裕がなかった。2.8Lの直列6気筒で145ps程度しか出ないのだから、それほど速くはなかっただろうが、何と言ってもそのルックスが素晴らしい。

童夢・零(1978年)
童夢・零(1978年)

アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)

アストン マーティンがミドエンジンのブルドッグを発表した当初は、25台まで製造するという話があった。電動のガルウィングドア、700psのツインターボV8、そして何ともドラマチックなデザイン(ウィリアム・タウンズの手によるもの)を備えたブルドッグなら、すぐに飼い主を見つけることができただろう。何より、最高速度が320km/h近いことが確認されれば、世界最速の市販車になるはずだった。

しかし、すべての開発作業が終了した頃には、伝統的なアストン マーティンの進むべき道ではないと見なされた。そのため1台しか製造されなかったが、今でも生き残っており、英国の自動車イベントに時々登場している。

アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)
アストン マーティン・ブルドッグ(1979年)

ウォルフレース・ソニック(1981年)

ウォルフレース・ソニックはワンオフモデルなので、今回の記事の趣旨とは少しばかりズレてしまうが、注目を集める宣伝用マシンとして製作され、今ではすっかり忘れ去られてしまっていることから、十分紹介するに値するだろう。

ウォルフレース・ホイールの初代オーナーであるバリー・トレーシーの依頼を受け、ニック・バトラーがデザインを担当し、2台のローバー製V8エンジンを搭載した6輪の2シーターを考案した。

ウォルフレース・ソニック(1981年)
ウォルフレース・ソニック(1981年)

10万ポンド(約1500万円)をかけて製作され、ウォルフレース社に大きな宣伝効果をもたらした後に姿を消したが、2015年にスクラップのような状態でオークションサイトのeBayに登場。1万8100ポンド(約280万円)で落札された。

コディアックF1(1983年)

1983年、セルビア人のムラデン・ミトロヴィッチがフランクフルト・モーターショーで発表したスーパーカーは、どこの国のどんなクルマにも負けないと言われていた。

320psのシボレー製5.4L V8を搭載したコディアックF1は、ガルウイングを持つメルセデスのC-111にインスパイアされたもので、1日中270km/hの速度で走ることができ、絶対的な信頼性があると謳われた。後期型には5.6Lのメルセデス製V8が搭載されるはずだったが、後期型の登場は実現しなかった。

コディアックF1(1983年)
コディアックF1(1983年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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