誰も知らないスーパーカー 50選 前編 ひっそりと消えた不運な珍車・名車

公開 : 2021.11.27 06:05

ジャガーXJR-15(1990年)

ジャガーが不運なXJ220プロジェクトに着手したのと同時期、傍らではもう1台のスーパーカー、XJR-15が開発されていた。XJ220にはV12が搭載される予定だったが、代わりにV6ツインターボが採用された。一方、XJR-15は12気筒で450psを発揮し、最高速度307km/hを実現した。

「ジャガー・スポーツ・インターコンチネンタル・チャレンジ」と呼ばれるワンメイクのレースシリーズのために、わずか50台が製造された。市販車としても製造され、その一部は現存している。2004年には、ジャガー・スポーツがAJ-V8エンジンを搭載してXJR-15を復活させる計画だったが、このプロジェクトは始動すらしなかった。

ジャガーXJR-15(1990年)
ジャガーXJR-15(1990年)

マセラティ・チュバスコ(1990年)

1990年12月に発表されたチュバスコは、「マセラティの新しい顔になる」と謳われていた。堅苦しいビトゥルボの後にミドシップエンジンを搭載して現れたチュバスコは、モータースポーツ界の花形ブランドの1つであるマセラティから、何か刺激的なものがもたらされるはずだった。

パワートレインは、シャマル社製の3.2L V8ツインターボを縦置きに搭載し、最高出力は435psを発揮する。マセラティは、F1レベルのグリップとパフォーマンスを声高に主張し、年間150台のペースで450台以上を製造すると見込んでいた。結局、このプロジェクトは半年後に中止となり、走らないモックアップが作られただけで、1台も製造されなかった。

マセラティ・チュバスコ(1990年)
マセラティ・チュバスコ(1990年)

タトラMTX-4 RS(1990年)

世界経済が破綻する直前の1990年12月に初公開されたタトラMTX-4 RSは、チェコスロバキア初のスーパーカーとして誕生した。リアエンジンのリムジンで知られていたタトラは、鉄のカーテンの崩壊後、新たな道を歩み始め、年間100台以下の生産を目指していた。

デザインはベルトーネが担当し、パワートレインはそれまでのセダンと同じ4.0L空冷V8を搭載する。218psと208psの2種類があり、後者は電子制御式燃料噴射を採用して、最高速度は265km/hとされていた。その後、不況に見舞われなければ実現していただろうか……?

タトラMTX-4 RS(1990年)
タトラMTX-4 RS(1990年)

ビッター・タスコ(1991年)

元レーシングドライバーであるエーリッヒ・ビッターの会社は、SCに代表されるオペルのボディを載せ替えたモデルで知られているが、たまにタスコのような奇抜なものも作った。1991年のフランクフルト・モーターショーで発表されたタスコは、MGAディベロップメンツ社との共同開発によるもの。

V8やV12を搭載するように設計されていたが、ヴァイパーのV10が好まれたため、タスコは実物大のモックアップの段階から進展しなかった。

ビッター・タスコ(1991年)
ビッター・タスコ(1991年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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