誰も知らないスーパーカー 50選 前編 ひっそりと消えた不運な珍車・名車
公開 : 2021.11.27 06:05
シュパン962CR(1991年)
シュパン962は、タイミングを逸したスーパーカーの1つだった。元レーサーのヴァーン・シュパンが、ポルシェのアイコンである962の公道仕様を作ろうと企画したものだ。3.3Lツインターボ・フラット6を搭載し、最高出力608ps、最高速度は350km/hであった。
50台の製造が予定されていたが、77万ポンド(約1億2000万円)という希望価格では、購入者を見つけるのは容易ではなかった。結局、5台が製造されただけで、1994年末にプロジェクトは終了した。
MCAセンテナーレ(1992年)
まるでミニカーのような不格好なデザインだが、1992年に発表された時の価格は50万ドル(約5700万円)だった。ランボルギーニのV12をミドマウントし、イタリアの名門カスターニャがデザインしたが、モナコでのプレス発表会では誰も運転することができなかった。
6台が製造されたといわれ、1993年のル・マン出場も目指したが、残念な結果に終わった。販売が軌道に乗らなかったため、このプロジェクトはエグザム・メガに売却され、そこでモンテカルロとして再出発したが、販売は同様に困難だった。
シュピースTC522(1992年)
産業用変圧器のメーカーとして知られるドイツのシュピースが、一体どんなクルマを作ったのか?1992年に登場したTC522は、カーボンファイバー製のボディシェルに最高出力500ps超のツインターボ5.7L V8と6速トランスミッションを採用していた。
しかし、シュピースは若いスーパーカーメーカーにつきものの、どうすれば買い手にお金を出してもらえるのかという問題に悩まされていた。TC522の価格は36万2000ポンド(約5600万円)であり、このプロジェクトが途中で頓挫したのは当然のことである。
ヤマハOX99-11(1992年)
スーパーカーの世界では通常、「公道走行可能なレーシングカー」という言葉は、言ってしまえばマーケティングの誇張表現であるが、ヤマハの場合は違った。OX99-11はマクラーレンF1を苦しめることができた数少ないクルマの1つであり、市販化されなかったことは残念でならない。
OX99-11が登場したのは1992年のことで、1990年代初頭のブラバムやジョーダンに搭載されていた425psの3.5L V12エンジンを車体中央に搭載していた。価格は100万ドル(約1億1000万円)と非常に高額だったが、これほどのものが他にあるだろうか。わずか3台のみ製造された。