ヴォワザンC27 エアロスポーツ 壮観なアールデコ・スタイル 1台限りのクーペ 前編

公開 : 2021.12.18 07:05  更新 : 2022.08.08 07:18

僅か2台が作られたヴォワザンC27

シートは低く、フロアはフラット。運転姿勢は、1934年のモデルとしては現代的。5角形に下がくびれたサイドウインドウのラインが、ドライバーの肘とフィットする。

そもそも、ヴォワザンを運転できること自体が特別な体験だ。さらに、1台だけ作られたC27エアロスポーツの運転ほどレアな体験はない。フランス・パリのオスマン通りの街灯が、ヴォワザンのボディに映り込む様子を想像してしまう。

ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)
ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)

ヴォワザンは、2シーターのクルマを殆ど生産しなかった。1934年のカタログには、短い3.1mのシャシーをベースとした、2ドアのスポーツモデルが掲載されていたが。

当時の提示価格は、9万フラン。ブガッティ・タイプ57 グランレイドより1万フランも高かったが、イスパノ・スイザのシャシーの半額ではあった。

C27が生産されたのは、僅か2台。1台目は、コーチビルダーのフィゴーニ社がボディを手掛けた、カブリオレだった。オーダーしたのはペルシャ人。番号52001のシャシーに、大胆なグリーンとイエローのツートーン・ボディが載せられた。

そのヴォワザンC27 カブリオレは、第二次大戦の戦火を生き延びた。その後、カリフォルニアのクラシックカー・コレクター、ピーター・マリン氏が購入している。

徹底的なレストアを経て、イエローとブラックのボディに塗り直され、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスでお披露目された。クロームのワイヤーホイールと、オーストリッチの内装が印象的だった。

話題を集めたアールデコ・スタイル

2台目に作られたクーペのC27 エアロスポーツは、ボディもヴォワザンの工場でデザインされている。シャシー番号は52002で、1935年のジュネーブとバルセロナの自動車ショーで発表。アールデコ・スタイルが大きな話題を集めた。

ところが、ガブリエルは2シーターモデルを好きではなかったらしい。「硬めの乗り心地で少し窮屈な車内の2シーターは、快適ではないと感じていたようです」。と、ヴォワザン愛好家のフィリップ・モック氏が説明する。

ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)
ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)

「4シーターのC25 エアロダインを特に気に入っていました。自動車に対する彼の哲学を、より良く表現できていたのでしょう」

今回ご紹介するヴォワザンC27 エアロスポーツの最初のオーナーは、建築家のアンドレ・テルモント氏。ガブリエルの旧友で、仕事のお礼として、アンドレへプレゼントしたという説がある。

ガブリエルとアンドレは、航空機でも自動車でもアイデアを共有し、協力して仕事に取り組んでいた。2人が出会ったのは、1900年にパリの建築事務所で建築の勉強に取り組んでいた頃だ。

ヴォワザンに詳しい、レグ・ウィンストーン氏が翻訳した本に記されている。「建築家のジャン・ルイ・パスカルが開いた学校で、建築を学んでいました。その哲学は、直感ではなく論理。そして簡素化。合理的な設計と、上品な立面図を習得したのでしょう」

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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