ヴォワザンC27 エアロスポーツ 壮観なアールデコ・スタイル 1台限りのクーペ 前編

公開 : 2021.12.18 07:05  更新 : 2022.08.08 07:18

姿を消したC27 エアロスポーツ

第一次大戦が始まると、ガブリエルとアンドレはパイロットとして訓練を受けた。平和が戻ると、ガブリエルが手掛けるクルマのデザインをアンドレが担当。ヴォワザン独特の優雅なカーブを描くスタイリングを生み出した。称えるべき功績といえる。

ガブリエルは、ピエール・パトウト氏やル・コルビュジエ氏など、著名な建築家とも交流が深かった。実際、コルビュジエはヴォワザンを複数台所有しており、多くの建築図面にヴォワザンのクルマが描かれている。

ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)
ヴォワザンC27 エアロスポーツ(1934年)

C27 エアロスポーツは、当初はツートーンのボディにレザー内装で仕立てられていた。だがアンドレがオーナーだった10年の間に、ボディは目立たない色に塗り直されている。恐らく戦時中だろう。

1945年まで、アンドレは日常的な移動手段としてヴォワザンに乗った。その後、ポーランド生まれの画家、モイズ・キスリング氏の息子が2番目のオーナーとして引き継ぐ。キスリングも、美術を通じたアンドレの友人だった。

その間にヴォワザンはルーフを破損。本来はスライド式だが、固定ルーフのクーペとして修理を受けたようだ。しばらくしてパリ在住のヴォワザン専門家、ロバート・サリオット氏が購入。彼の門下生だったジャン・テラモルシ氏へ貸し、運転させている。

このテラモルシは後にルノー5 ターボを開発し、ルノー・スポールのディレクターに就任する人物だ。ところが1960年代になり、C27 エアロスポーツは姿を消してしまう。スクラップ業者へ売られたということだった。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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