ジャック・ブラバム死去

公開 : 2014.05.20 22:50  更新 : 2017.06.01 02:12

自身の名が付いたマシンで、自らF1チャンピオンシップを獲得した唯一の男であるサー・ジャック・ブラバムが、月曜日の朝、オーストラリアのゴールド・コーストの自宅でこの世を去った。88歳だった。

ジャックという名前が一般的なジョン・アーサー・ブラバムは、1926年、シドニー郊外のハーストビルで生まれた。彼は、若い頃からモータリングとエンジニアリングに没頭し、15歳で機械工学の学校を卒業してる。その後、王立オーストラリア空軍でしばらく過ごした後、1948年にレースを開始した。最初のクルマはミジェットだった。

その後、彼はレースで成功を納、1955年にその活躍の舞台をヨーロッパへ移す。

ブラバムはクーパー・カーズのジョン・クーパーのドライバーとして、クーパーT40を駆って英国グランプリでデビューを果す。その後、1958年まではクーパー・カーズのフルタイム・ドライバーを勤め、そして翌1959年にモナコ・グランプリで初優勝を果たした。その年は英国グランプリでも優勝を果たしている。

また、劇的な話として今も語り継がれるのは、この年のアメリカ・グランプリのこと。ファイナル・ラップで燃料切れを起こしたものの、そのままマシンを押してフィニッシュ・ラインを超えた事件だ。すでにチャンピオンは確定していたが、これによって4位のポジションを獲得したのだった。

1959年に続き、1960年もF1のシリーズ・チャンピオンを獲得。しかし、1961年からスタートした新しい1.5ℓのレギュレーションにうまく乗れなかったクーパーは戦闘力を失っていた。この年は僅かに3ポイントしか獲得できなかったのだ。

そこで、1962年、彼は自らチームを設立する。1964年にはダン・ガーニーがブラバムで初優勝。2年後のロン・トーラナックがデザインしたBT19とレプコV8エンジンの組み合わせは強力で、この年に、ジャック・ブラバムは3度めのワールド・チャンピオンを獲得する。これによって、自分の名前を関したチームで初めてF1を制したドライバーとなった。

44歳でジャックはモータースポーツから引退する。チームは、ビジネス・パートナーであるロン・トーラナックが引き継いだ。

1979年、ジャックは “サー” の称号を受けることとなる。

2000年前後まではグッドウッド・リバイバル・オブ・スピードなどのイベントにも顔を出していたが、その後は健康面の理由からこの手の催事にも出場しなくなっていた。

ジェフ、ゲイリー、ブラバムという3人の息子は、レーシング・ドライバーとして成功を収め、孫のマシューとサムも現役のシングルシーター乗りだ。

家族を代表して末っ子のデイビットがコメントを出している。

「われわれにとって非常に寂しい日となった。父は月曜日に88歳で天に召された。彼は誰もが夢見るような素晴らしい人生を送った。そして、伝説としてわれわれの心のなかで生き続けるだろう。」

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