ロータス・エリート 初代オーナーは本田宗一郎氏 レストアを終え日本へ 後編

公開 : 2022.01.01 15:05

あの本田宗一郎氏がオーナーだったという、見事なレストアを受けたエリートを英国編集部がご紹介します。

あえて残した本田博俊氏のクラッシュ痕

本田宗一郎氏が初代オーナーだった、ロータス・エリート・タイプ14のレストアを率いたデリル・ブシェル氏が説明する。「過去に施されていた修復部分は、すべて元に戻す必要がありました」

「届いた時点で、ボディシェルは左右が非対称。新品のボディシェルを買うことはできますが、クルマが刻んできた貴重な過去はすべて失われます」。ボディにサンダーがかけられると、ホワイトとブラック、レッドの塗装が順に姿を見せた。

ロータス・エリート・タイプ14(1962年)
ロータス・エリート・タイプ14(1962年)

宗一郎の長男、本田博俊氏が起こした鈴鹿サーキットでの横転事故の痕跡も残っていた。「場所によっては、想像以上の処理が必要なことも。ルーフの内部構造は、大きな損傷を受けていました」

今でも良く観察すると、磨き込まれたウインドウフレームの運転席側に、舗装で削られた傷が残っている。クルマの記憶として、ブシェルがあえて残したという。

「クルマの血統を残すことが重要だと考えました。オーナーの馬場さんからの依頼で、2か所、そのままの塗装の場所もあります。トランクリッドとホイールアーチの内側。現在までの経歴を確かめることができます」

「馬場さんは、残したい場所をマーカーで囲みました。実際は、その外側に新しい塗装面を仕上げているので、マーカーの線も残っているんです」

ロータス・エリートは、工場指定のホワイトではなく、ホンダのグランプリ・ホワイトに塗られた。40年ほどガレージで眠っていたエリートのお色直しの塗装色として、賢明な選択だと思う。

日本と英国の共同で進められたレストア

現オーナーの馬場ナオキ氏が友人とレストア状況を見に英国へ来た時、歴史を裏付ける貴重な情報が発見される。リフトアップされたボディシェルに、59年前に日本へ上陸した時にサブフレームへ刻印された番号が残っていた。新車時の塗装部分に。

本田一家から直接譲ってもらったクルマなだけに過去への疑問はなかったが、その番号はエリートの血統を立証する重要なものだった。ブシェルが興奮気味に振り返る。「2人が見つけたんですよ。幸せそうに話す彼らと一緒で、素晴らしい時間でした」

ロータス・エリート・タイプ14(1962年)
ロータス・エリート・タイプ14(1962年)

メカニズムのセッテイングは、英国ロールソン・レーシング社のガイ・シェパード氏へ託された。キャブレターの調整を終えた彼が説明する。「クルマには、大きく現像された写真が付いてきました。燃料タンクもデフも、標準より大きいとすぐにわかりました」

「ワイヤーホイールは錆びていました。通常よりサイズが大きく、ジャガーEタイプか何かから流用されたものでしょう」

「トランスミッションはZF社製です。ですが、シフトレーバー用の穴が正しい場所に開いていないとわかったのは、シェルの塗装が終わってから。MGAのトランスミッションが載っていたようですね」

燃料タンクは、一般的なアルミに置き換えるのではなく、元のタンクと同じスチールで再製作。サスペンションまわりは慎重にリビルドされた。ヒーターマトリックスなどの装備は、日本でレストアされていたようだ。

記事に関わった人々

  • グレッグ・マクレマン

    Greg Macleman

    英国編集部ライター
  • マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ロータス・エリート 初代オーナーは本田宗一郎氏 レストアを終え日本への前後関係

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