東欧の奇妙なクルマ 21選 共産圏が生んだ名車・珍車・迷車、どれだけ知ってる?

公開 : 2021.12.12 06:05

ダチア1300(1969年)

1960年代、ルーマニア政府は現地で作れる西洋車を探していた。アルファ・ロメオオースチン、そしてフィアットなどの提案を検討した結果、ルノー12が選ばれた。

初期のモデルは、フランスから輸送された部品を使って作られていたため、12との違いはほとんどなかったが、ルーマニアのダチア工場ではすぐに1300を一から作り始めた。後に、2ドア、4ドアのピックアップとクーペを含むフルファミリーのモデルとなった。

ダチア1300(1969年)
ダチア1300(1969年)

最後の12由来のモデルが製造されたのは2004年。初代ローガンに取って代わられたのである。1300は、1999年にルノーがダチアを買収する道のりの出発点だった。現在では、2017年には10年前の約3倍となる65万5228台を販売し、成功した大衆ブランドとなっている。

(注)写真はダチア1310

ラーダ2101(1970年)

ラーダ初の市販車、2101は1970年にデビューした。定評のあるフィアット124をベースにしていたが、ロシアの道路事情に対応するため、設計に何点か変更を加えている。エンジンを新型にし、ボディパネルを厚くしてサビに強くしたほか、サスペンションパーツを改良するなどしたのである。

2101は一夜にしてロシアの国民車となった。生産が終了したのは1988年。フィアットが124を廃止した後のことである。ラーダは2105と2107と呼ばれる改良型のモデルに置き換え、2010年代初頭まで生産を続けた。2012年には、最後の124ベースのモデル、2104エステートを製造した。

ラーダ2101(1970年)
ラーダ2101(1970年)

スコダ110R(1970年)

スコダは1000MBをクーペ化したが、Bピラーがないことによる剛性不足の問題もあり、販売は低調だった。しかし、1970年には110Rを発売し、クーペ市場に再挑戦したのである。

110セダンをベースに、ファストバックのようなルーフラインを採用して、よりスポーティな外観とした。当時の自動車評論家たちは、このクルマを親しみを込めて「共産主義のポルシェ」と呼んだ。中にはフックス(Fuchs)のホイールを模したハブキャップ装着モデルもあった。1980年までに約5万7000台が生産された。

スコダ110R(1970年)
スコダ110R(1970年)

110Rは、レースを念頭に置いて開発されたダイナミックなクーペ、130RSを生み出したことで有名である。この130RSは、1981年の欧州ツーリングカー選手権で、BMWやアルファ・ロメオといった名だたるメーカーを抑えてマニュファクチャラーズタイトルを獲得している。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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