東欧の奇妙なクルマ 21選 共産圏が生んだ名車・珍車・迷車、どれだけ知ってる?
公開 : 2021.12.12 06:05
オルトシット(1981年)
オルトシットは、2ドアのシトロエン・ヴィザのように見える。実際、ヴィザだったかもしれない。ルーマニア政府から小型で手頃なクルマの開発を依頼されたシトロエンは、1970年代初頭にフィアットと共同でアミ8の後継モデルとして開発した「Y」というプロジェクトの設計図を提案。しかし、プジョーはシトロエンを買収した際にYをキャンセルし、コスト削減のためにアミの後継モデルに104のシャシーを使うことを主張した。
Yは、ルーマニアで思いがけず光り輝く機会を得た。ベースモデルには652ccのフラットツインが搭載されていたが、オルトシットはヴィザとパーツを共有していなかった。高価なモデルには、GSAのフラット4エンジンが搭載された。シトロエンは、このルーマニア製モデルを「アクセル」の名で一部の欧州市場で販売したが、期待を大きく裏切る結果となっている。
ニコライ・チャウシェスク政権が崩壊した翌年の1990年、シトロエンはルーマニア政府とのパートナーシップを解消する。しかし、生産は1995年まで続けられた。
ダチア・スポーツ(1983年)
ダチアは12をすぐにフルモデルチェンジしてファミリー化した。セダンとワゴンに加え、1970年代半ばには2ドアと4ドアのピックアップが登場。中でも、ルノーが作らなかった最も興味深いモデルは、1983年に発売されたスポーツである。
12をクーペにすることは、15/17の現地生産ライセンスをルノーから得るよりも簡単だったと思われる。自社デザインの2ドアは、付け焼き刃で開発された低予算モデルに見られるような、かなり不格好なプロポーションをしている。生産されたスポーツの中で最もパワフルなのは1410で、1.4Lエンジンで65psを発揮した。
ラーダ・スプートニク/サマーラ(1984年)
ラーダ・サマーラは、本国ロシアではスプートニクと呼ばれていた。地球の軌道上で3週間過ごした後に電池切れとなり、不本意ながら地球に戻ってきた同名の人工衛星(大気圏に突入して消滅)と比べても、はるかに良い結果となった。なんと、ロシアで販売チャートのトップに躍り出たのである。
スプートニク/サマーラは、ラーダが初めてフィアットの意見を取り入れずに開発したことでも知られている(フィアットは、ラーダが前輪駆動モデルを作ることを嫌ったと言われている)。その代わり、ポルシェの協力を得て、人気の高いフォルクスワーゲン・ゴルフをはじめとするさまざまなモデルをベンチマークして、国際的な販売を目指したボクシーなハッチバックを設計したのだ。
ロシアでは2012年まで生産された。西欧でも販売されたものの、試乗した人からは「平凡すぎる」と言われ続けた。