東欧の奇妙なクルマ 21選 共産圏が生んだ名車・珍車・迷車、どれだけ知ってる?
公開 : 2021.12.12 06:05
ユーゴ(1985年)
米国人が「ユーゴ(Yugo)」と呼んでいるクルマは、1977年にザスタバ・コーラル(写真)として誕生した。フィアット127を進化させて箱型のデザインにしたものだ。東欧車に好意的なユーザーが多い地元の市場や一部の輸出市場向けに開発されたが、顧客対象に米国は含まれていなかった。
そんな中、1968年にスバル・オブ・アメリカを設立した実業家マルコム・ブルックリンは、コーラルに可能性を見出す。1980年代に欧州のエコノミーカーの代替として輸入していたスバル360に相当するものと考えていたのだ。
しかし、時代は変わり、狩人は狩られる側へと転じる。コーラルは日本のエコノミーカーと競争することになったのだ。ブルックリンは米国仕様車の開発に協力し、「ユーゴ」と名付けて1985年に輸入を開始。しかし、成功は長くは続かなかった。
品質問題に悩まされ、米国ではジョークのネタにされてしまったのだ。1992年、ユーゴ・アメリカが破産申請をしたことで、販売は終了した。
ダチアMD87(1987年)
1410スポーツを超えるべく、ダチアはフィアットX1/9のような低価格スポーツカーに果敢に挑戦した。1987年には、ルノー12から派生したミドシップエンジンのMD87というプロトタイプが開発された。詳細は不明だが、当時の写真を見ると、トヨタMR2とランチア007を融合させたようなデザインになっている。
MD87の進化形であるMD87エボは、ポップなヘッドライトを備えた流線型のフロントエンドを採用することで、より空力的な性能を追求した。ダチアは両モデルを1台ずつ製造したが、いずれも1980年代後半以降は姿を消している。2台に何があったのかは不明。
スコダ・ファヴォリット(1987年)
スコダの新時代の幕開けとなったのが、このファヴォリットである。ベルトーネスタイルのボディに、輸出向けに開発されたフロントエンジン・前輪駆動のアーキテクチャーが隠されている。
しかも、西欧の自動車メーカーからライセンスを取得して作ったのではなく、自社で設計したのが大きな特徴だ。ファヴォリットは、鉄のカーテンの向こう側で作られたクルマというイメージを払拭し、スコダが世界で戦える力を持っていることを示した。
ラインナップは、4ドア・ハッチバック、ワゴン、ピックアップの3種類。クーペやセダン、ホットハッチなどのバリエーションも実験的に作られたが、生産のゴーサインは得られなかった。