ドイツが生んだ史上最高の名車 31選 後編 VWビートルから「イエローバード」まで
公開 : 2021.12.25 18:25
ルーフCTR
「イエローバード」と言えば、血中ガソリン濃度の高い人ならどのクルマか、どの映像のことか、すぐにわかるだろう。ルーフCTRは、鮮やかな黄色のデモカーがニュルブルクリンクを疾走する映像で一躍有名になった。その姿は瞬く間に伝説となり、ルーフは本格的なチューニング・カンパニーとしての地位を確立した。
CTRは排気量3.4L、最高出力469psのターボエンジンを搭載していたが、ベースは911ターボではなく3.2Lのカレラであった。これは、カレラのほうが軽量で空力的に優れていたためだ。
スマート・フォーツー
スマート・フォーツーは、コンパクトで低燃費な小型車という都市部のニーズに応えた、現代にふさわしいバブルカーである。全長が一般的なクルマの車幅とほぼ同じだったため、縁石に鼻先を寄せて駐車することができるのが特徴だ。初期のフォーツーは、599ccの3気筒ターボエンジンを搭載し、0-97km/h加速17.2秒という悠長な加速を楽しむことができた。
プラスチック製のボディパネルは簡単に交換できるように設計されており、オーナーは好きなときにクルマの色を変えることができたが、このアイデアは普及しなかった。
トラバント
トラバントは1957年、東ドイツにおける大衆車として最初の市販車を発売したが、買ってから手に入れるまでに通常10年程度かかったという。もしトラバントが共産主義時代に新車販売を独占していなければ、2ストローク2気筒の喘ぐようなエンジンを搭載したこの粗悪なマシンを欲しがる者は少なかっただろう。
トラバントの独創性はボディに隠されており、金属ではなく綿ゴミを再利用したプラスチック「デュロプラスト」で作られていたのである。廃車には苦労したそうだ。
フォルクスワーゲン・ビートル
ただのドイツ車ではない、ドイツ車。もともとヒトラー率いるドイツ第三帝国の国民車として第二次世界大戦前に設計されたが、開戦とともに生産計画は中止に。ビートル(タイプ1)の生産を1946年にきちんと稼働させたのは、英国軍であった。初期の車両は25psしかなかったが、耐久性があり、容易に走らせ続けることができた。
オリジナルデザインのビートルは約2150万台生産された後、最後の個体が2003年にメキシコでラインオフした。
フォルクスワーゲン・ゴルフ
フォルクスワーゲン・ゴルフは、幅広い層のドライバーのニーズと欲求を満たすために一貫して進化を続けており、多くのドライバーにとってデフォルトの選択肢となっている理由は容易に理解できる。シンプルなファミリーカー、ホットハッチ、コンバーチブル、ハイパフォーマンスなど、ゴルフはあらゆるニーズに応え、それを見事に実現している。
初代ゴルフ・カブリオレは、2代目をドロップトップにするコストが高すぎたため、1993年まで生産された。また、南アフリカのフォルクスワーゲンは、シティ・ゴルフと呼ばれる初代ゴルフを2009年まで生産し続けた。