第6次EVブーム到来 EVブームは過去に何度も 歴史を振り返る
公開 : 2022.01.04 08:25
ガソリン不足と大気汚染を背景に
2度目のEVブームは、第二次世界大戦後の日本に発生した。戦後の混乱期にガソリンの供給が滞っていた。
そこで生まれたのが「たま電気自動車」だ。
戦後となって立川飛行機を解雇されたエンジニアなどが中心になって生まれた自動車メーカーであり、後に、プリンス自動車となり、そして日産自動車へ吸収されている。
ただし戦後のEVブームは、ガソリン供給の安定化とともに沈静化。
たま電気自動車はEVからガソリンエンジン車を生産するようになり、名称もたま自動車、プリンス自動車とかわっていった。
そして高度経済成長期を迎えた日本において、また別の問題が突き付けられた。
それは激増したガソリンエンジン車が引きおこした排気ガスによる公害問題だ。
1970年にアメリカで非常に厳しい排気ガス規制「マスキー法」が成立したように、日本でも1960年代から排気ガスによる大気汚染が社会問題化していたのだ。
そこで再び注目を集めたのがEVだ。
ダイハツなどは1960年代から積極的にEVの開発を進めて、1969年に「フェローEV」、1971年に「ハイゼットバンEV」を発売した。
また、国も問題を重視して、通産省の旗振りのもとで「大型工業技術研究開発制度における電気自動車プロジェクト(通称「大プロ」)」が1971年より6年間実施された。
ちょうど、日本には2度のオイルショックに襲われていたこともあり、このプロジェクトには、ダイハツだけでなく、トヨタ、日産、三菱、マツダ、電池メーカー、電機メーカーなど、多くの企業が参加。
第3のEVブームと呼ばれるほど、EVに熱い視線が注がれたのだ、
しかし、そんなEVブームも、完成したEVの性能不足やガソリン供給の安定化などにより、1980年代に入ると失速してしまう。
アメリカのZEV規制で再び脚光
1970年代から強化されていった排気ガス規制問題は、三元触媒などの技術の進化と普及により、一旦はおさまったかに見えた。
しかし、1990年になると再び大気汚染問題がクローズアップされる。
それが1990年にアメリカのカリフォルニア州が導入した「ZEV(ゼロ・エミッション・ヴィークル)規制」だ。
これはカリフォルニア州でクルマを販売する自動車メーカーは1998年以降、一定数をZEVにしなければならないというもの。
ZEVとは、排気ガスを排出しないクルマであり、その当時としてはEVを示していた。
つまり、自動車メーカーにEV生産を強制的に迫る規制であったのだ。
ここに第4のEVブームが到来した。
GMは「EV1」を量産。トヨタはRAV4をEVに改良し、日産はプレーリージョイをEVに、ホンダはEVプラスを開発することになる。
しかし、結果的には、 1990年代のEVブームは不発に終わった。
規制が紆余曲折してハイブリッドやプラグイン・ハイブリッドもZEVに含まれるようになったのも理由だろう。
また、EVの性能が一般に受け入れられるほど高まっていなかったことも一因だったはずだ。