ベントレー4 1/4リッター・ヴァンデンプラ・スポーツツアラー 金色のビンテージ 後編

公開 : 2022.01.29 07:06

1950年代後半に挑んだ北米横断

最大の冒険となったのが、1950年代後半に挑んだ北米横断ツアー。4 1/4リッター・オープンツアラーはニューヨークへ船で運ばれ、北米の自動車博物館やカーコレクターを巡る長旅を走破した。

ミシガン州ディアボーンにあるヘンリー・フォード・ミュージアムを目指すゴールドのベントレーは、地元ドライバーの視線を釘付けにしたことだろう。グリーンが道に迷うと、数kmも先導してくれたデトロイト市民もいたという。

ベントレー4 1/4リッター・ヴァンデンプラ・スポーツツアラー(1939年/英国仕様)
ベントレー4 1/4リッター・ヴァンデンプラ・スポーツツアラー(1939年/英国仕様)

ニュージャージー州で開かれた、コンクールデレガンスにも参加。多くの出展車両がトレーラーで運ばれるなかで、グリーンは自走でベントレーを持ち込んだ。最も遠方からの参加者として、賞も獲得している。

数年後にはカナダも巡っている。旅の途中で雷雨に見舞われ、排気系にダメージを負いながら、近場の整備工場まで爆音で走ったらしい。

整備士は手に負えずシカゴへの運搬を持ちかけたものの、グリーンは自身での修理を決め、のこぎりでドラム缶を切断。スチールバンドを巻いて補修し、そのまま冒険旅行を続けたそうだ。

グリーンはオーナーとして33年間も、4 1/4リッター・オープンツアラーを楽しんだ。その間にオドメーターを2周させている。

そんな70歳を過ぎたグリーンは、オリジナル状態のベントレー4 1/2リッター・ヴァンデンプラ・ツアラーに巡り合い、購入を決める。以前に所有していた3リッターの後継車といえ、ブランドの歴史でも傑作の1台に数えられるモデルだ。

心が奪われる金色のボディ

オープンツアラーはクラシックカー・ディーラーのチャールズ・ハワード氏が購入。10年ほど所有した後、カリフォルニアのイーグル・ネスト・プレイス博物館へ手放した。

さらに3年後、ダービー・ベントレーを愛するアンソニー・ムーディー氏が買い取り、英国へ戻ってきた。彼はパリのコンクールデレガンスへ招待されると、ロンドンからフランスのシェブレフィユまで、3人の友人を乗せ自ら運転している。

ベントレー4 1/4リッター・ヴァンデンプラ・スポーツツアラー(1939年/英国仕様)
ベントレー4 1/4リッター・ヴァンデンプラ・スポーツツアラー(1939年/英国仕様)

高速巡航用のオーバードライブを使えば、2500rpmで136km/hが出せる。その悠々たる姿に、多くのドライバーが驚いたことだろう。

土曜日の早朝にホテルの駐車場でベントレーを洗車すると、ムーディーはシャンゼリゼ通りを抜け凱旋門広場を一周。ブルゴーニュの森を目指した。イベント後はフランス各地を歴訪。8日間で約2100kmを走っている。

ムーディーが所有する2台のダービー・ベントレー・コレクションの1台として、壮観な佇まいは今も変わらない。2019年には、ペブルビーチで開かれた100周年を祝うベントレー・センテニアルにも参加している。

イベント前のツアーでは、太平洋沿岸の道を、明るく澄んだゴールドのボディが優雅に流れた。近い将来、次のオーナーへ渡ったとしても、彼やグリーンのように4 1/4リッター・オープンツアラーを走らせて欲しいものだ。

もちろん、停まっていてもダービー・ベントレーは見惚れるほどの存在感がある。だが、走っている姿には敵わない。晩秋の英国コッツウォルズの森を駆け抜ける金色に、心が奪われずにはいられなかった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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