DS301にSX1000、ミニ・ジェム、ユニパワーGT ミニ・ベースのクーペたち 中編

公開 : 2022.01.30 07:06

見分けがつかないマーコスとジェム

クラシック・ミニをベースとしたスポーツモデルで最も成功し、広く認知されているものといえば、ミニ・マーコスだろう。ディジー・アディコット氏がジェム・マーシュ氏と進めた、ダート(DART)と呼ばれるFRPボディのクルマが起源だ。

マーシュが創業したマーコス社がプロジェクトを引き継ぎ、競争力のあるクルマへと完成させた。1966年からはル・マン24時間レース向けに、プライべーター用マシンとしてもミニ・マーコスを提供。数百台が生産されている。

フィレンツェ・ブルーのミニ・ジェム Mk1とレッドのユニパワーGT Mk1
フィレンツェ・ブルーのミニ・ジェム Mk1とレッドのユニパワーGT Mk1

途中でマーシュは開発で協力したアディコットから離れ、1965年にレーシングドライバーのジェレミー・デルマー・モーガン氏がプロジェクトを買収。ミニ・ジェムとして類似したモデルを継続させた。

結果的に誕生した、ミニ・ジェムとミニ・マーコスという2台のスタイリングは極めて似ているが、ジェムのキットは189ポンド。マーコスより10ポンド安い、戦略的な価格設定で販売された。

ジェムとマーコスは、BMCミニのエンジンとサブフレーム、駆動系などを流用した前輪駆動。FRPのモノコックがボルトで固定され、一見すると殆ど見分けがつかない。恐らく、開発者でも難しいだろう。

テールの処理では、デルマー・モーガンはカムテールと呼ばれる、やや高めのルーフラインを選んでいる。技術があればスポーツカーを自宅のガレージで安価に組み立てられ、サーキットでも同等に速く、マーコスと並んだ人気を集めたことも理解できる。

実際、デルマー・モーガンは、1966年にニュルブルクリンク500kmレースに出場。総合18位、クラス2位という好成績を残している。

モディファイド・ミニとして高い完成度

今回ご登場願ったゴフ・アレン氏は、最初期のミニ・ジェムを所有していた経歴を持つ。1968年に、デルマー・モーガンから会社を買収した、ロビン・スタサム氏本人から購入したという。

「当時は20歳になったばかり。ホットカー・マガジンに載っていたジェムの記事で、興味を抱いたんです。組み立てる手順が紹介されており、自分も欲しいと強く思いました。10月にシェルを購入し、1月には走行可能な状態になりました」

フィレンツェ・ブルーのミニ・ジェム Mk1とレッドのユニパワーGT Mk1
フィレンツェ・ブルーのミニ・ジェム Mk1とレッドのユニパワーGT Mk1

「ベースに使ったのは、事故にあったミニ。路上を走らせるのが、楽しみで仕方がなかったのを覚えています」。とアレンが振り返る。

2台目として購入したミニ・ジェム Mk1が、ご紹介するクルマ。ベアシェルの状態からレストアを施したそうだ。「ボディの状態はそこまで酷くありませんでした。とても軽量だったので、レース用のシェルだったと考えています」

フィレンツェ・ブルーとトーガ・ホワイトのツートンは、当時のBMCカラー。ボディラインにも良くマッチしている。

ドアを開いてシートに座ると、ミニ・マーコスでも見慣れた景色が広がる。オグル SX1000と同様にミニと同じ操作系のレイアウトが並ぶが、180cmの身長のドライバーなら、頭が天井に触れるほどルーフが近い。

それでも、モディファイド・ミニとしてジェム Mk1の完成度は非常に高い。ホイールがボディ四隅で踏ん張り安定し、コーナリングも安心感がある。活気溢れるエンジンは意欲的に吹け上がり、コーナーの多いショートサーキットにぴったりだ。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    グレッグ・マクレマン

    Greg Macleman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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