フレイザー・ナッシュ-BMW 326 当時のベスト・サルーン 80年のサバイバー 後編

公開 : 2022.02.06 07:06  更新 : 2022.08.08 07:16

欧州で高水準な乗用車を一般化させたBMW 326。英国でも少数ながら生産されたクラシックを、英国編集部がご紹介します。

BMWを英国で広めたフレイザー・ナッシュ

自社のクラシカルなチェーン駆動スポーツカーの人気に陰りが見えていた1930年代後半、フレイザー・ナッシュ社は先進的なモデルを生み出すBMWと契約。完成車の輸入だけでなく、主に英国で製造されたボディを載せるなど、自社工場での生産も行った。

そうして生まれたのが、フレイザー・ナッシュ-BMWだ。ところが、戦争への反発からドイツ製品の不買運動が波及。英国での販売台数は1937年から1939年までの間に約350台と、成功と呼ぶにはあまりにささやかだった。

フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)
フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)

フレイザー・ナッシュ-BMWとして売られたモデルのうち、約60台が326のサルーンだといわれている。アルディントン家が、英国でも広い支持を集めるであろう画期的なクルマだと、高く評価していたモデルだ。

「ビッグ2リッター」や「ロンドンの中心部を堂々と走る」といったコピーを用い、広告を展開。「世界で最も優れたツーリングカー」というフレーズとともに、326の専用パンフレットも刷られた。

当時の英国価格は、ファブリックシートで475ポンド、レザーなら495ポンド。現代の価値では、3万6000ポンド(約558万円)ほどだ。右ハンドルに仕立て、マイル表示のスピードメーターまで用意している。

燃料キャップにはロック機能が付き、シャシー潤滑も簡便なワンタッチ。リモートで操作できるラジエーター・ブラインドなども搭載され、1937年当時としては相当に装備も充実していた。

ブリストル社製85Aエンジンに換装

今回ご紹介するシャシー番号113302のフレイザー・ナッシュ-BMW 326は、1939年6月にロンドンの西、アイルワースの街へ納車された1台。後期仕様のシングル・バンパーと、穴開き加工が施されたスチールホイールが与えられている。

CBT 600のナンバーが取得されたのは1941年11月。初代オーナーは明らかになっていないが、1947年にロンドン在住のJH.ハーベイ氏が購入している。しかし翌1948年8月には、バーナード・ババニという出版社へ売却したようだ。
 
その出版社は、フレイザー・ナッシュ社を買収したブリストル社の85Bエンジンとトランスミッション、リアアクスルなどへの換装を、アンソニー・クルック・モーターズ社へ依頼した。だが整備記録をたどると、ピストンヘッドの固着が残されている。

フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)
フレイザー・ナッシュ-BMW 326(1937〜1940年/英国仕様)

そこで同年の9月に、フレイザー・ナッシュのワークショップへ入り整備を受けている。ラジエーターにエンジンオイルが混入していたほか、過早着火と呼ばれる、自然着火の症状にも悩んでいたらしい。
   
新しいバルブスプリングへの交換やチューニングを受けても症状は改善せず、さらにブリストル社の工場へ326は移送。その時点で、パワーでは劣るもののトラブルが少ない、85Aエンジンに積み直されている。現在に至るまで。

復活した326は、1960年初頭には英国東部、ブリストルの街で自動車用部品の配送車として活躍。その後、1970年までの間にオーナーが何度か変わり、ルーカス社製の大きなP100ヘッドライトが与えられた。同時に、ブルーのツートーン塗装も。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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