世界が緋色に染まる日 フェラーリの祭典、フィナーリ・モンディアーリに潜入 圧倒的な規模感
公開 : 2022.01.23 19:05
伝説的なマシンの数々 夢の共演
ショーは、サン・バルナバの地元旗手たちを起用した中世風のページェント(野外劇)で始まり、その後、現代的なF1マシン3台が放たれる。ここがフィナリー・モンディアーリの一番の見どころで、グランプリを3度制したAFコルセのエース、ジャンカルロ・フィジケラやアンドレア・ベルトリーニ、オリビエ・ベレッタが運転する2017年のSF70Hと2009年のF60がムジェロに繰り出されるのだ。
フィジケラの駆るターボハイブリッドのF1マシンは、V8エンジン搭載のF60に追い回され、新型デイトナSP3は、1960年代の330 P4と412P(デザインのモチーフとなった2台)を率いて華麗に走破した。比較は不公平だが、この2台が一緒に走れば、比べられるのも仕方ないことだ。
GTの勝者たちがデモンストレーションラップを終えると、F1、GT、FXX、チャレンジの各マシンがムジェロのストレートに沿って奥まで丁寧に並べられ、写真撮影が行われた。その後、コースは顧客がFXXおよびコルセ・クリエンティ・プログラムで午後の残りの時間を思い思いに過ごす場所となった。
筆者はパドックに戻り、11月下旬の陽が傾く前に、跳ね馬の歓声が響くカタールGPを観戦した。
他の自動車メーカーがこのようなショーを行わないのは、これほどの伝統とバックカタログを持つメーカーが存在しないからである。たしかに、このような日を、甘やかされた一部の特権階級のためのけばけばしいパーティーとか、金儲け主義だと皮肉るのは簡単だ。
しかし、クルマを売ってお金を稼ぐというのは、自動車ビジネスにとってフェアな目標ではないだろうか。フェラーリに乗る人たちは別世界に住んでいるからと言って、彼らを恨むべきなのだろうか?
フェラーリの原点はクルマであり、新旧を問わず、堅苦しい現実世界も彼らの存在によって輝きを増している。今年10月のフィナーリ・モンディアーリはイモラで開催される予定で、一般客も迎えて万事順調である。秋の海外旅行を計画している?それならいい旅先がある。
F1コレクションが保存・展示される巨大格納庫
アワードの翌日、フェラーリの巨大な格納庫が解放され、これまで見たこともないようなF1コレクションの展示が始まった。これだけの台数が一堂に会すると、ただただ圧倒されるばかりだ。その中からお気に入りの1台を選ぶのは、一朝一夕にできることではない。いくつか抜粋して紹介しよう。
【1974年 312 B3】
マウロ・フォルギエリの代表作で、フェラーリを再燃させた傑作。ニキ・ラウダ初のF1ウイナー。クレイ・レガツォーニがマクラーレンのエマーソン・フィッティパルディに僅差でポイント2位となった。
【1979年 312 T4】
Tは横置きギアボックスのこと。フォルギエリのエポックメイキングなシリーズ最終モデルで、ジョディ・シェクターを王座に運んだが、ディジョンでルネ・アルヌーに挑んだジル・ヴィルヌーブは我々のハートを射止めた。
【1982年 126 C2】
ほろ苦い。ヴィルヌーブはレース中に死亡し、ディディエ・ピローニはホッケンハイムで脚を負傷してキャリアを終えたが、パトリック・タンベイが彼らの炎を守り続けた。
【1995年 412 T2】
ジョン・バーナード設計のマシンで、フェラーリ最後のV12エンジン搭載F1カー。こちらはゲルハルト・ベルガーのもの。ジャン・アレジはカナダで行われた唯一のグランプリで優勝し、V12エンジン搭載のF1最後の勝利となった。
【1996年 F310】
バーナードの醜いアヒルの子だが、ミハエル・シューマッハの最初のフェラーリとして重要な意味を持つ。雨のスペインGPでシューマッハがフェラーリ初優勝を飾ったほか、スパ・フランコルシャンやモンツァでも活躍した。
【2001年 F2002 & 2003年 F2003 GA】
シューマッハが3度目と4度目のフェラーリ・タイトルを獲得したローリー・バーンの傑作2台。F2002は17戦中15勝(11勝はシューマッハ、4勝はルーベンス・バリチェロ)という圧倒的な速さを誇った。