ベントレーMk VIとロールス・ロイス・トゥエンティ インドの旧車コレクター 後編

公開 : 2022.02.12 07:06

マハラジャが所有していたクラシックを集める、インド人コレクター。英国編集部が、彼の愛車の一部をご紹介します。

ファミリーカーとしても乗っている

インドのクラシックカー・コレクター、ヨハン・プーナワラ氏。彼のコレクションで最も古いクルマが、1927年式ロールス・ロイス・トゥエンティだ。1920年代にブランドが初めて手掛けた小型モデルで、なかなかお目にかかれない。

1925年にマイナーチェンジ。前後にブレーキが与えられ、4速MTも搭載されている。

ロールス・ロイス・トゥエンティ(1927年/インド仕様)
ロールス・ロイス・トゥエンティ(1927年/インド仕様)

ファントムとは異なり、運転手に頼らず自らステアリングを握りたいという裕福なオーナーのために作られた、クルマ好きのためのロールス・ロイスだ。同じ気持ちを持つプーナワラにとっては、ピッタリのクラシックだといえる。

ファミリーカーとしても利用しており、子どもたちと一緒に自動車旅行へも駆り出すらしい。「スケジュールが許せば、これで日曜日のドライブを楽しみます。フェラーリに乗りたい時を除いてですが」

動力性能はフェラーリへ遥かに及ばないが、トゥエンティも戦前のラグジュアリー・サルーンとして不足ない走りを発揮するという。エンジンは当時新開発された3127cc直列6気筒。100km/hほどでの巡航も可能だ。

トゥエンティの製造台数は2885台。そのなかの80台はインドへ輸出された。シャシー番号GRJ1が割り振られた、プーナワラの1台もそこへ含まれる。

最初の4年間はデモ車両として使われたが、1931年にインド西部のサチン地域を治めていたマハラジャ、ハイダー・ムハンマド・ヤクート・カーン殿下へ売られている。領土は広くなかったものの、ロールス・ロイスを儀式に登用するほど裕福だったようだ。

夏の暑いインドならではのディティール

1948年、インド統一でサチンは国へ統合されるが、王家はトゥエンティをなんとか維持。後に、成功した蘭の生産者へ売却している。余談だが、彼はネズミ駆除の目的で、ロールス・ロイスの車内に2mの蛇を飼っていたという噂がある。

ベントレーMk VIの鮮やかなツートーンにも目が奪われるが、筆者としては戦前のロールス・ロイスの方に心が惹かれる。ロンドンに存在していたコーチビルダー、バーカー社のオープンツアラー・ボディの深い艶が、陽光を反射して輝いている。

ロールス・ロイス・トゥエンティ(1927年/インド仕様)
ロールス・ロイス・トゥエンティ(1927年/インド仕様)

ボディカラーはブラック。以前所有していたコレクターによって、丁寧にレストアが施されている。作業には2年半を要し、スティーブン・グレベル社製の2灯のヘッドライトとスポットライトも磨き込まれた。

スポットライトはフロントガラスのサイドに取り付けられ、ドライバーが角度を調整できるようになっている。1930年代のインドの道路事情を考えると、3本目のスペアタイヤも、賢明な装備だといえる。

インテリアは、インドの暑い夏に対応させるため、いくつか特徴的な変更が与えられている。ボディと同じブラックのダッシュボードへ並ぶメーターの文字盤は、運転中に眩しくないよう、ブラックで統一されている。

一方で、ステアリングホイールやシフトノブ、ダッシュボードの操作系ノブなど、運転中に触れる部分はすべて、アイボリーで統一。太陽光を反射し、できる限り温度上昇を抑える目的があった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    グレッグ・マクレマン

    Greg Macleman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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