アウトウニオンにサーブ、ネッカー、ランチア 1960年代の小さなファミリーカー 前編

公開 : 2022.02.13 07:05

2ストローク・エンジンのアウトウニオ

英国人にとって、凸型な3ボックス・フォルムのネッカー・ヨーロッパは、最も馴染みが薄いかもしれない。だが本家のフィアットは、1100を170万台も製造している。後に生産を受け継いだ、インド・プレミア社での台数を含まずとも。

ネッカーは、1970年代初頭までフィアット・モデルのライセンス生産を続けている。少し複雑だが、戦前はNSUのモデルを生産していた過去がある。

アウトウニオン1000 S(1958〜1963年/英国仕様)
アウトウニオン1000 S(1958〜1963年/英国仕様)

ご登場願ったヨーロッパは、カーコレクターのフレドリク・フォルクスタッド氏の愛車。レッドとホワイトのツートーン・ボディが印象に強く残る。

そんなフォルクスタッドのコレクションでテーマの1つになっているのが、白煙を吐き出す2ストローク・エンジン車。特にDKWやアウトウニオンといった、ドイツ車に関心があるという。ブルーとホワイトのアウトウニオン1000 Sも、彼のコレクションだ。

フォルクスワーゲンビートルにも似た丸みを帯びたフォルムだが、より上級向けのモデルが目指されていた。その起源をたどれば、2気筒エンジンのDKWマイスタークラスや、3気筒のゾンダークラッセへたどり着く。

1000 Sのエンジンは、高圧縮比の2ストローク3気筒980cc。大きく湾曲したフロントガラスがトレードマークといえる。発売は1958年で、途中でフロントにディスクブレーキが追加され、1963年まで生産が続いた。

特徴といえるのが、前輪駆動でセパレートシャシーという構造。エンジンとトランスアクスルは、ボックスセクション・フレームの前方へ搭載されている。

ラリーでの強さを世界へ証明したサーブ

真っ赤なサーブ96も、フォルクスタッドの1台。アウトウニオンと良い対比を生んでいる。彼のクルマは、1968年まで生産が続いた2ストロークの直列3気筒を積む。最高出力は55psで、4速MTが組まれている。後期型では、V型4気筒エンジンへ置換された。

96は1960年の発売で、左右に回り込んだリアガラスの造形が特徴。車内空間は広く、荷室にもゆとりがある。ブルノーズと呼ばれた初期型のフロントマスクは、フォード社製V4エンジンの採用計画とラジエターの位置変更により、1965年から新しくなっている。

サーブ96(1960〜1967年/英国仕様)
サーブ96(1960〜1967年/英国仕様)

英国やモンテカルロで開かれたラリーでは、ドライバーのエリック・カールソンにより複数回優勝。サーブの強さを世界へ証明し、販売台数の拡大へとつながった。

96の起源は、1950年から1956年に作られていた、2気筒エンジンの92までさかのぼれる。改良を受けつつ、新モデルの900と並行しながら1980年まで生産が続いたのだから、驚くべきモデルだ。

航空機を生産していたサーブにとって、初の自動車となった92が横向きに積んでいたのは、最高出力25psの2ストローク・エンジン。その後、1956年の93では縦置き3気筒が導入されている。排気量は当初841ccで、38psを発揮した。

前輪駆動のシャシーには、改良が施されたコイルスプリングのリア・サスペンションが与えられている。アウトウニオンのようにシンプルで滑らかなボディと、軽量なシャシーに充分なパワーが組み合わされたサーブに、スウェーデン人は魅了された。

この続きは中編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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