忘れられた偉人 ベルント・ローゼマイヤー 暗黒時代のドイツで「人類初の偉業」を成し遂げた男

公開 : 2022.01.30 06:05

人類初の偉業 ナチス党との関係

最も印象的な勝利は、1936年にニュルブルクリンクで開催されたアイフェル・グランプリである。雨中のスタートでヌヴォラーリのアルファ・ロメオをオーバーテイクした後、濃い霧が立ち込めてきた。誰もがスピードを落としたが、ローゼマイヤーだけは、イタリアのライバルよりも10秒も速いタイムで走っていた。

バインホルンは、これは彼が並外れた視力によるものだと語る。かつて彼女は、ローゼマイヤーが愛車のホルヒを高速で走らせるとき、実際に体験したのだ。

アウトウニオンとベルント・ローゼマイヤー
アウトウニオンとベルント・ローゼマイヤー

いずれにしても、この勝利によって、ローゼマイヤーがかのハインリッヒ・ヒムラーから親衛隊(SS)に任命されたという話は、避けて通ることができない。当時、目覚ましい発展を遂げていたドイツの自動車工学は、あらゆる点でナチス党と表裏一体であり、アウトウニオンやメルセデスが同政権のプロパガンダの道具であったことを忘れてはならない。

SSへの任命は、当時のドイツ人なら安全に断ることができない名誉だったが、ローゼマイヤーはナチスではなかった。彼は一度も入党することなく、実際にSSの制服を着ることもなかった。勇敢にも、ナチスの宣伝部長ヨーゼフ・ゲッベルスに会うときもスーツを着ていったのである。

ローゼマイヤーはその後、公道での速度記録を破るというアウトウニオンの挑戦に参加し、最初のセッションで速度世界記録である376.4km/hを打ち立てた(今から86年前のことである)。

1937年、ヴァンダービルト・カップ(米国初の国際レース)が開催されたニューヨークで、彼のレースキャリアは頂点に達した。タイトでツイスティなサーキットはドイツ車に不利だったが、ローゼマイヤーは無邪気にも、膝丈のソックス、ショートパンツ、緑のチロリアンハットを身につけて米国人を相手に名勝負を繰り広げ、勝利を手にした。

1937年のレースシーズンは全体的に厳しいものだったが、この年、彼は人類初の400km/hの壁を破る大記録(401.9km/h)を打ち立てる。流線型のアウトウニオンをまっすぐ走らせるのは至難の業で、走行後は意識が混濁した状態でクルマから降ろされるほどだったという。

そのことを、彼は前兆ととらえるべきだったのかもしれない。

心は少年のまま 消えない灯火

しかし、スピードと大胆さを求める彼の情熱は、決して冷めることはなかった。1938年初めにはバインホルトとの間に初めての子供(男の子)が生まれたが、再び記録達成に挑戦する道を選んだのだ。

1938年1月28日。メルセデスのカラッツィオラがアウトバーンでローゼマイヤーの速度記録を破り、公道最速の432.6km/hを樹立する。直後にローゼマイヤーもトップ奪還を目指してアウトバーンに繰り出し、431km/hを記録したが、カラッツィオラにわずかに及ばない。風は強くなっていたが、彼はまだ改善できると信じ、もう1度走り出した。それが彼の最後のドライブとなった。

ベルント・ローゼマイヤー
ベルント・ローゼマイヤー

その日、カラッツィオラが出した432.6km/hというスピードは、驚くべきことに2010年代まで破られることがなかった。

当時、英AUTOCAR誌のジョン・ダグデール記者は、「ローゼマイヤーは、エースとして確立された。ドイツでは大変な人気者となり、子供たちが固唾を飲んで話す、まさにスピードの鬼となった。彼の少年のような大胆さと興奮が、写真のためにポーズをとることも、じっと立っていることも、集中することもできないほど強い神経エネルギーに変わるのをわたしは見たことがある」と賛辞を贈った。

アウトウニオンのチーム代表、カール・フォイレーセンは、「彼は真の友人、公正なスポーツマン、まっすぐな男として、永遠にわたし達の記憶に残るだろう。彼は、勝利を収めた偉大な戦士として、またすべての人の模範として生き続けるだろう」と語っている。

不謹慎かもしれないが、愛する国やチームを破壊した戦争の惨状を見ずにこの世を去ったのは、不幸中の幸いだったのかもしれない。戦後に生まれ変わったアウディの大成功と、彼の功績が忘れられていないことを、間違いなく喜んでいるだろう。

もし、まだ見たことがないのであれば、YouTubeでローゼマイヤーがアウトウニオンを走らせている映像を検索してみてほしい。そして、もしフランクフルトからダルムシュタットへアウトバーンを走る機会があれば、木々の間に小さな記念碑が建っているので、ぜひ偉大なレーシングドライバーに思いを馳せてほしい。

記事に関わった人々

  • 執筆

    クリス・カルマー

    Kris Culmer

    英国編集部ライター
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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