ACコブラの最終形 AC 289スポーツ Mk IIIのシャシーにスモールブロック 前編
公開 : 2022.02.19 07:05
新開発のシャシーにビッグブロックのMk III
オリジナル・コブラのモデルライフで最大の変化となったのが、1965年に登場したMk III。ほぼ完全に再設計されたシャシーに、427cu.in(7.0L)のビッグブロックV型8気筒が搭載されている。
ひと足早く、このアイデアをカタチにしたのがレーシングドライバーのケン・マイルズ氏。1963年には、Mk III以前のシャシーに7.0Lのフォード・ユニットを押し込み、ブレーキとサスペンションを強化したコブラを試していた。
エンジンが大きすぎると考えたのか、彼は390cu.in(6.4L)ユニットへ載せ直し、1964年にセブリング・レースウェイを走っている。ところが、それでもじゃじゃ馬過ぎ、コース上に留めておくことすら難しかったらしい。
マイルズは、プラクティス中にコースアウトしてしまい、立木に衝突。補修して本番を戦うが、燃費の悪さとオイル漏れに悩まされ、充分な走りはできなかった。最終的にコンロッドをアスファルトへ落とし、リアタイアしている。
彼のトライは、1950年代初頭に起源を持つシャシー設計の古さを浮き彫りにした。だが、堅牢で先進的なシャシーが必要だと、シェルビーに気付かせることにもつながった。フォード社も、モータースポーツで長くコブラが活躍できるように支援した。
新しく設計されることになったシャシーは、フォード社が有するコンピューターを活用。サスペンション・エンジニアとして活躍していたクラウス・アーニング氏の協力を受け、内容が煮詰められていった。
Mk IIIの生産台数は僅か56台
最終的に現実的なカタチへまとめたのは、フォード社のエンジニア、アラン・ターナー氏。開発されたシャシーは、2本のパイプが縦方向に並ぶという点で、Mk IIコブラとの共通性を備えていた。パイプは4インチ(102mm)へと太くなっていたが。
シャシーの前後は上方へ持ち上がり、サスペンションを受け止めている。フロント側には横置きリーフスプリングにかわって、コイルスプリングにアームストロング社製のダンパーが組まれた、不等長ダブル・ウイッシュボーンが与えられている。
リア側は、トレーリングアーム。こちらも、コイルスプリングとダンパーという組み合わせだ。
1965年のレース参戦に向けて、規定に設けられた生産台数の達成が目指されたが、最終的に作られたのは56台のみ。努力の甲斐なく、100台の半分程度という少なさだった。その一部はデチューンを受け、公道用モデルとして販売されている。
思うような結果が伴わなかった427エンジンのMk IIIだったが、シェルビーは輸入台数を縮小。ACカーズ社とシェルビー社との関係性に陰りが出るなかで、さらに2年間、コブラは生産が続けられた。最良と思われるコンポーネントを組み合わせて。
ACカーズ社が選んだのは、Mk III用のコイルスプリング・シャシーと、289cu.inのハイプロ・エンジンというマリアージュ。最高バランスのコブラといえる、289スポーツが誕生した。
この続きは後編にて。