1928年式フォード・モデルAで2万kmの旅 オーストラリアから英国へ 後編

公開 : 2022.02.26 07:06

約半年でロンドン・タワーブリッジ前へ

砂漠を超えて西へ進み、イランに入国。国境の警察署で2日間過ごした。ビザ発給までの間、身の安全を守るための措置だった。

イランを北上し、雪で覆われた山々を抜けてカスピ海へ。そこでは、沢山の砂糖が溶かされた紅茶と、トルココーヒーが待っていた。道端にある大抵のカフェで楽しめ、美味しく、英気を養える飲み物になった。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:アフガニスタン・カンダハールへの道
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:アフガニスタン・カンダハールへの道

トルコから南のイラクとシリアへの入国も考えたが、国境紛争で不可能。そこでギリシアへモデルAを進めた。岩が露出した丘にテントを張り、ラムシチューを煮た夜が思い返される。そこで、野生のタイムを摘んだ。

スロベニアやクロアチアが属していた当時のユーゴスラビアでは、果樹園のそばでキャンプをした。彼らは、搾りたての新鮮な牛乳を分けてくれた。

かつての西ドイツでは、ミュンヘンでソーセージとビールを味わった。そこからロンドンへは、至って容易なクルマ旅になった。

すべてが順調に進み、1963年6月1日、タワーブリッジ前のテムズ川を横断。2階建でのロンドンバスと真っ黒なロンドンタクシーを見て、歓喜したことは忘れがたい。これまでの人生で、最も強く記憶へ刻まれた半年間になった。

1928年式フォード・モデルAは、ブレーキの効きが悪かったものの、素晴らしい結果を残してくれた。平均燃費は6.4km/Lほど。同行した友人のジョン・ダルトンも、英国南西部、ウィルトシャーの実家へ無事に送り届けることができた。

故障はオーターポンプとドライブシャフト

インドではオーバーヒートに悩まされたが、北上とともに徐々に解消。大きな故障は2度ほどで済んだ。まず発生したのが、ウオーターポンプの不調。ローラーベアリングが用いられたアップグレード品だったが、振動でガタが出たようだった。

インドのムンバイにある大きなフォード・ディーラーへ持ち込み相談すると、1時間ほどで近くの部品販売店から新しいポンプを用意してくれた。そのポンプは、今でも元気なフォード・モデルAを冷やしてくれている。

オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:1963年6月1日にロンドンへ到着
オーストラリアから英国を目指した、フォード・モデルAでの旅の様子:1963年6月1日にロンドンへ到着

もう1つが、リア・ドラブシャフトの結合部分の溝がすり減ったこと。欧州に入り、オーストリア・ウイーンでのトラブルだった。地元のフォード・ディーラーへ持ち込むと、喜んで修理してくれた。

その間、モデルAはディーラーの店先へ誇らしげに展示されていた。ホイールスポークのハブにヒビが入ったものの、それは溶接で補修した。

食事やガソリン、宿泊などにかかった費用は、当時で1人当たり800オーストラリア・ドル。約2万kmに及ぶクルマ旅は、とてもチャレンジングなものではあった。危険な場面もあったが、不思議なことに毎回、無事に克服することができた。

自由に海外旅行も許されない時代だからこそ、若かりし頃の冒険が蘇ってくる。もう一度あの頃へ戻って、挑戦してみたいものだと思う。

執筆・撮影:Wal Hunter(ウォル・ハンター)

記事に関わった人々

  • 編集

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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