崇拝の対象? カルト的な地位のクルマ 26選 自動車文化を築いた偉大な名車たち

公開 : 2022.02.19 06:05

トラバント601(1963年)

ベルリンの壁崩壊後、ドイツの路地裏に捨てられることになったトラバント。東ドイツの人々は、フォルクスワーゲンのゴルフやポロなど、モダンな新型車を自由に買えるようになったのだ。西ドイツの人たちは、現代の常識に反したデュロプラストボディの2ドアを買おうとはしなかった。トラバントの価値は、どんどん下がっていった。

現在、ベルリンでは、トラバントが東ドイツの国民車であることを利用しようとする動きが活発である。トラバントの博物館もあり、2サイクル2気筒エンジンから作られたビールの栓も見かけたことがある。

トラバント601(1963年)
トラバント601(1963年)

フォードマスタング(1964年)

フォードは1964年4月、マスタングを発表する準備をしていたとき、自分たちが何を解き放とうとしているのか理解していなかった。社内では、このモデルの発売初年度の販売台数を10万台程度と見込んでいた。

しかし、デビュー当日に2万2千台を販売し、わずか3か月で10万台の大台に乗せた。年間販売台数のピークは1966年の60万7000台であった。マスタングは1970年代末までに自動車業界の有名人となり、クラシックカーとしての名声を得ている。

フォード・マスタング(1964年)
フォード・マスタング(1964年)

シボレーカマロ(1967年)

熱狂的な人気を誇るフォード・マスタングに対するシボレーの回答が、カマロであった。発売されるやいなや、瞬く間にファンを獲得。初年度に22万台を販売した(マスタングと比べると印象の薄い数字だが)。

1970年代後半、米国の排ガス規制がカマロを窮地に追い込んだ。しかし、2010年に再登場したカマロは、マッスルカーブームの波に乗ることができた。

シボレー・カマロ(1967年)
シボレー・カマロ(1967年)

ボルボ200シリーズ(1974年)

ボルボの200シリーズの評判は、国によって大きく異なる。出身地のスウェーデンでは、当然ながらノスタルジーと結びついている。イタリアやスペインなどの南欧では、粘土の代わりにレゴブロックを使ってデザインしたような無名のセダンに過ぎない。

米国の太平洋岸北西部では、限りない愛の対象である。シアトルやポートランドでは、今でも毎日何百台もの200シリーズが行き交う。普段はクルマにあまり関心を示さない人たちも、古いボルボを走らせ続けるために努力を重ねているのだ。

ボルボ200シリーズ(1974年)
ボルボ200シリーズ(1974年)

メルセデス・ベンツW123(1976年)

少し前まで、メルセデス・ベンツW123は無骨な船乗りのように無気力に走る、安くて頑丈な交通手段としか思われていなかった。現在のEクラスの前身となるこのクルマは、近年、日常的に乗れる身近なクラシックカーとして、新しい役割を担っている。その後継車であるW124も、そう遠くない位置にある。

メルセデス・ベンツW123(1976年)
メルセデス・ベンツW123(1976年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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