ジャガーEタイプを現代技術で再生 イーグル・ナンバー1 精神と構造は変えず 前編

公開 : 2022.03.06 07:05  更新 : 2022.04.14 16:59

21才でイーグル社を創業したピアマン

レストモッドされたEタイプを受け取ったジョンは、地元でシェイクダウン。その後、フランス経由でスイスへ向かった。

ところが3日後、フランス東部のディジョンという街でトランスミッションが破損。ブレースへ電話をすると、翌日の朝に修理をしてくれたそうだ。MTの供給元を変更することにもつながった。

イーグル・ナンバー1(ジャガーEタイプ/1995年/英国仕様)
イーグル・ナンバー1(ジャガーEタイプ/1995年/英国仕様)

さかのぼると、ピアマンは高校卒業後すぐに、クラシックカーのレストアを始めた。18歳で最初のEタイプを入手し、1984年にイーグルEタイプ社を創業した。若干21才で。最初に請け負ったのは、3.8Lのクーペだったという。

1998年、彼はEタイプ S1 1/2ロードスターでピレリ・クラシック・マラソンへ挑戦。初戦ながら、5位入賞を果たした。

翌1989年にも参戦。見事に優勝し、クラシック・ラリー界に大きな衝撃を与えた。同じイベントを、1966年式ポルシェ911 Tで走っていたのがブレース。程なくお互いに意気投合し、イーグル社へ加わった。

1992年、2人は新車時より優れたEタイプのレストアを手掛けるというPRを開始。その広告を目にし、最初の顧客として依頼してきたのがジョンだった。彼のビジネスに対する洞察力と、クルマへの考え方は、イーグル社の運営方針に影響を与えた。

ジョンは仕事に強い関心を寄せ、アドバイスもした。パンフレットの文章も仕上げた。シングルモルトで有名なマッカラン醸造所での経験を活かし、2015年にイーグ社の取締役へ就任。今では、ゴードン・マレー・グループの取締役の1人でもある。

ディティールに見える同社のコダワリ

2004年、ブレースはフレア・フェンダーのボディをデザイン。翌年には、既存構造を活かしてボディへ施せる改造の可能性を模索した。クーペボディのイーグルは2009年に完成。元レーシングドライバー、マーティン・ブランドル氏へ引き渡された。

イーグル・ロードラッグGTと呼ばれる、市販版のクーペが完成したのは2013年。3年後にスパイダーGTを発表。2017年になって、翼を広げたデザインのブランドロゴが生まれている。

イーグル・ナンバー1(ジャガーEタイプ/1995年/英国仕様)
イーグル・ナンバー1(ジャガーEタイプ/1995年/英国仕様)

現在の究極仕様といえる、ライトウェイトGTは2020年に発売。4.7Lエンジンに広角ヘッドが組まれ、最高出力は400ps以上を発揮する。その名のとおり車重は1000kgほどしかなく、ノーマルのEタイプより約30%も軽い。

アルミ製のヘッドには、イーグル社のロゴが誇らしげに施してある。「大きさから想像できるとおり、ソリッド素材から削り出しています。オリジナルで状態の良いものを探すことは、難しい作業です」

鈍く輝くヘッドが美しい。こんなディティールへのコダワリこそ、イーグル社のクルマづくりの姿勢を表すものだといえる。

取材時点では、イーグル社はNo.49のEタイプを仕上げている途中だった。No.50も並んで進行中。技術開発は継続されており、最新のイーグルEタイプも徹底的に作り込まれている。

「オリジナルをリビルドした域を超えていません。本質を維持するために、多大な努力を投じているんです」。ピアマンが強調する。

ブレースも付け加える。「Eタイプの魂は残したいと考えています。可能な限りオリジナル部品を用いています。燃料インジェクションを載せたり、V8エンジンを積むこともありません」

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ポール・ハーディマン

    Paul Hardiman

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ウィル・ウイリアムズ

    Will Williams

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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